アジアひと未来 異邦人が変える(6) 供給者の論理、危うさ問う 2016/06/12 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の1面にある「アジアひと未来 異邦人が変える(6) 供給者の論理、危うさ問う」です。





 4月末、インド首都ニューデリー郊外。「ここに来客はめったにない」。セキュリティー完備の集合住宅の一室でディネッシュ・タクール(48)は静かに語り始めた。

 2013年、印後発薬大手ランバクシー・ラボラトリーズが米国への5億ドル(540億円)の和解金支払いに追い込まれた医薬品製造不正事件。インドの成長産業を揺るがした内部告発者である。

 インド生まれだが1990年に渡米留学し、化学工学を修めた。米製薬大手で11年間、薬品開発に携わり、米国籍も得た。それでも母国に帰還したのは伸び盛りの印製薬業に懸けたからだった。

 03年にランバクシーに転職。だがオーナー一族による徹底したトップダウン経営は戸惑い続きだった。転機は1年後。英製薬大手から移籍してきた上司が苦渋の表情でそっと打ち明けてきた。「この会社は闇を抱えている。極秘で調べてくれ」

 開発部門の情報管理責任者だった。治験データの改ざんが次々見つかる。安価な薬を世界で売りさばく経営戦略で品質は後回し。「気付いていても、みな職を失うのを恐れて口をつぐんでいた」

 身内の暗黙の「ルール」に疑問を差し挟む異端は排斥される。不正の調査結果を経営会議にかけた上司は直後に退社した。会社端末からポルノサイトにアクセスした――。タクールもお決まりの嫌疑をかけられた。05年春、退職を決意した。

 「医薬は患者のため」「自分と関係が切れた会社だ」。退職後、自問自答を続けた。ただ戦い方は知っていた。不正の証拠は保管していた。半年後、米食品医薬品局(FDA)に直訴状を送り、自宅に警備員を雇った。

 製薬は新興インドを象徴する産業だ。後発薬の世界シェアは2割に達し、米国では4割に及ぶ。前米司法次官のスチュアート・デレリー(47)は振り返る。「ランバクシー問題は我々にとって最大の悪夢だった」

 FDAと司法省は08年、同社に輸出禁止などの是正策を発動。事態を見誤った第一三共がランバクシーを一時買収するが、結局は印同業に売却し同社は実質消滅した。

 タクールは今も印製薬業界を相手取った裁判で品質向上を訴える。印規制当局の中央医薬品基準管理機構のトップ、G・N・シン(56)は嘆く。「内部告発者に敬意を表する。だがそこに愛国心はあるか?」。タクールが米政府から受け取った4800万ドルの報奨金は世界の「ルール」だがインドでは理解されない。

 政官業一体で産業振興を推進してきたアジア新興国。そこでは供給者の論理が優先され消費者や労働者の利益は二の次にされがちだった。しかしアジアの製品が世界のサプライチェーンに組み込まれる中、安全の軽視や児童労働などの人権侵害に厳しい目が注がれる。

 インドの「世紀の告発」は産業振興を最優先してきたアジアの危うさへの戒めである。

(敬称略)

=第3部おわり



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