ニッポンの製造業 新たな挑戦 東レ(下) 視線は常に「50年後」 2013/11/17 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の1面にある「ニッポンの製造業 新たな挑戦 東レ(下) 視線は常に「50年後」」です。





 今年5月、東レの日覚昭広社長のもとに、ある炭素繊維メーカーの身売り話が舞い込んだ。風力発電の羽根など低価格品の有力メーカー、米ゾルテック。日覚社長はすぐさま調査を指示、9月には580億円で買収案件をまとめ上げた。

「ずっと赤字」

 航空機向けなど最先端の炭素繊維でトップを走る東レ。新興メーカーとの競争の激しい低価格品でも需要地で生産する体制を整え、世界で本格展開する段階に入る。ただ、ここに至る道のりは長かった。

 鉄に比べ4分の1の重さで強度が10倍の炭素繊維は、大阪工業技術試験所(現産業技術総合研究所)の進藤昭男博士が1961年に発明した日本発の技術。東レは早くから技術者を派遣、71年に世界で初めて量産化したが、利益には結びつかなかった。

 釣りざおやゴルフクラブ向けの需要はあっても「研究に1400億円以上を費やし、ずっと赤字」(榊原定征会長)。そんな状況がある契約で一変する。

 2003年4月16日。炭素繊維を担当する大西盛行専務には忘れられない日だ。米ボーイングから「次の飛行機(787)は主翼も胴体も炭素繊維で作る。東レに任せたい」と告げられた。苦労が実った瞬間だった。当時、年7000トンだった炭素繊維の生産量は12年に1万8000トンまで増えた。11年3月期には黒字が定着。売上高はボーイング向けだけで21年までに合計1兆円を見込む。

 1968年に開発を始めた水処理膜。水のろ過に使う同素材もこれからが収穫期だ。アジア・中東で海水の淡水化や下水処理の大型プラント建設が本格化、需要が拡大している。

 事業が花開くまで半世紀近くを費やす「50年経営」。炭素繊維は米デュポンや独BASFなど欧米大手も参入したが、赤字により数年で撤退。東レは短期の収益を犠牲にするかわり、結果的に他の追随を許さない事業を育てる。

 そのこだわりはどこからくるのか。51年に東レがデュポンから販売ライセンスを受けたナイロン。実は戦中に独自開発していた。その技術がアクリル開発につながる。炭素繊維の製造にはアクリルの生産技術が欠かせない。

 アジア勢に押されていた00年代初め。旭化成や帝人など各社が繊維事業を分社化、研究予算を削減した。しかし一部株主から批判を浴びながらも当時の前田勝之助・東レ会長は「繊維はいくつもの事業を育てる基幹事業」と手をつけなかった。そこには連綿と続く素材開発への自負がある。

繊維から新事業

 鎌倉にある「先端融合研究所」。03年5月の開所式の直前、前田会長が「名前に『融合』の文字を」と指示、看板を作り替える一幕があった。今、繊維を核にバイオや医療など異なる技術を融合した研究が進む。

 常駐研究者は100人だが、常時、大学や外部の研究機関の研究者が出入りするオープンな体制で、事業のタネを育てている。

 東レが追いかけてきたデュポンは祖業の火薬、繊維からM&A(合併・買収)で医療、食糧などに進出。対照的に東レは繊維から枝を伸ばし新事業をつくる。「手法はどうあれ、出した結果を株式市場は評価する」(みずほ証券の佐藤和佳子シニアアナリスト)。次の50年を支える事業のタネを絶え間なく生み出し続けることが東レの背負った宿命かもしれない。

 西條都夫、林英樹、丸山修一が担当しました。



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