中国が対パ接近混迷深まる インド・パキスタン分離独立70年 2017/8/19 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の総合面にある「中国が対パ接近混迷深まる インド・パキスタン分離独立70年」です。





 インドとパキスタンが14~15日、それぞれ独立から70周年を迎えた。200年に及んだ英国の植民地支配から解き放たれて以降、宗教や領土を巡って対立する両国は3度戦い、核開発も競う。北に隣接する大国・中国のパキスタン接近が利害対立の火に油を注ぎ、印パの首脳は独立記念日にも敵対心をあらわにした。

独立70周年を記念した式典で演説するインドのモディ首相(15日、ニューデリー)=インド政府提供

 「我々の『限定攻撃』に世界はインドの能力と強さを思い知った」。モディ印首相は15日、1947年の独立後70年を記念した演説でこう強調した。昨年9月、実効支配するカシミール地方南部で自国軍が襲撃された報復でパキスタンを攻撃した。

 前日の14日、1日早い独立記念日を祝ったパキスタンのアバシ首相も「対話と平和的な手段で問題解決に努めてきたが、残念ながらインドの拡大志向が最大の障害になっている」とインドを名指しで非難した。

 今に続く対立の火種を生んだのはほかならぬ70年前の独立だ。両国はもともと同じ英領インド。マハトマ・ガンジーが指導する多数派のヒンズー教徒と、ムハンマド・アリ・ジンナー率いる少数派のイスラム教徒が、連携して独立を勝ち取った。

 独立が手に入るとなった時、ジンナーらは「二民族論」を唱えてイスラム教国の創設を唱え、統一インドを願うガンジーらを振り切る形で2国家に分離した。だが分離は簡単ではなかった。各地にはヒンズー教徒とイスラム教徒が混じり合って共存していたからだ。分割した国土へ両教徒の大移動が起きる過程で大混乱が生じ、100万人が犠牲になったとされる。

 混乱を象徴するのが北部の山岳地帯、カシミール地方だ。藩王がヒンズー教徒、住民の多くがイスラム教徒だったため、印パどちらに帰属するか合意できなかった。47年の独立直後、パキスタンが先手を打って侵攻すると、インドが対パ攻撃に踏み切り、第1次印パ戦争に発展した。

 カシミール地方の領有権を巡り、両国は65年と71年にも本格的な戦火を交えた。翌99年の紛争時にはあわや核戦争かと緊張が高まったこともある。2008年にパキスタンの過激派がインドの商都ムンバイで起こした大規模テロでは、外国人を含む約170人が犠牲になった。

 対立が雪解けに向かうと期待が高まった時期もある。14年5月、モディ首相は就任宣誓式にパキスタンのシャリフ首相(当時)を招待した。15年末には現職の印首相として12年ぶりにパキスタンを訪問した。

 だがその1週間後、パキスタン側から侵入した武装集団がインド空軍基地を襲撃する事件が起きた。武装勢力の動きはパキスタン軍部が支持または黙認しているとされる。「関係改善を望むのは、元ビジネスマンのシャリフと経済重視のモディだけだと再認識した」(インド政府関係者)。両国の歩み寄りは途絶えた。

 中国のパキスタンへの急接近も印パ関係を複雑にしている。15年に共同で整備に着手した「中パ経済回廊」のルートにカシミール地方北部が含まれていることにインドは猛反発した。「核兵器用プルトニウムを製造できる原子炉の建設で、中国はパキスタンを支援している」。インド外務省はこのほど議会の外交委員会でこう証言した。中国の対パ経済協力は、領土問題だけでなく軍事面の緊張も高めてしまう。

 印パ両国民が憎悪に凝り固まっているわけではない。「父(大尉)は99年のカルギル紛争で殺された」「印パの平和のために戦います」。昨年、こんな文言のカードをインド人女子高生が黙々と掲げる4分間の動画がインターネット上に流れると、両国から200万近いアクセスが集まった。対立の歴史に終止符を打ちたいと願う市民は多いが、実現にあと何十年必要なのかは見通しが立たない。

(ニューデリー=黒沼勇史)



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