出光・昭シェル 薄氷の統合(1)「何も残らなくなる」 2018/07/30 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の「出光・昭シェル 薄氷の統合(1)「何も残らなくなる」」です。





「出光株を50%以上まで買い増したい。お金を融通してもらえないか」。2017年10月、出光興産名誉会長の出光昭介(91)は厳しい表情で語り始めた。創業家による出光の買収計画を目の前で聞いていたのは「物言う株主」として世間で注目を集めてきた村上世彰(58)。15年11月に出光と昭和シェル石油が合併で基本合意したと発表してから、2年になろうとする時期だった。

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住設機器大手のオーナー経営者を介して知り合い、17年から18年にかけて断続的に顔を合わせた2人。「とにかく会社を取り戻したい」。語気を強める昭介を前に村上は冷静だった。「反対し続ければ、出光は昭シェルにTOB(株式公開買い付け)をしかける。そうなれば何も残りませんよ」。出光が昭シェルにTOBを実施すれば、創業家の意向にかかわらず昭シェルとの統合は実現する。「出光の理念が失われる」。それは昭介が最も見たくない現実だった。

昭介の父で創業者の故出光佐三は、戦前・戦後の混乱期のなかで出光を国内有数の企業へと育てた。高度経済成長の波にも乗り、国内系を意味する「民族資本」の石油元売りとして業界大手に。同業が再編を繰り返す中、同族経営の強固な基盤をもとに唯一、独立路線を歩んできた。

佐三は社員だけでなく全国の販売店の従業員までも「家族」と呼んだ。昭介も社長時代に「預かった若い人を両親に代わって育てる」と口癖のように語っていた。

出光と創業家がボタンを掛け違えた場面は何度かあった。昭介は周囲に「天坊と月岡は許せない」と漏らす。

出光顧問の天坊昭彦(78)。06年に出光が東証1部に上場した時の社長だ。当時、バブル期の不動産投資の失敗などで財務体質が悪化。上場による資金調達で難を乗り切った功労者とされる。ただ創業家としては出光株の保有は8割ほどから33.92%まで下がり、昭介は快く思っていなかった。それから約10年、今度は出光会長の月岡隆(67)が目の敵となった。

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16年4月9日。都内の明治記念館で夕方から昭介の次男の結婚式が催された。「会社と創業家は車の両輪です」とあいさつした月岡。上機嫌で聞いていた昭介は「次男は佐三の血を色濃く引き継いでいる」と、経営者として高い資質を持っているとアピールした。

ただ信頼関係は3カ月もたたずに壊れる。創業家が反対する「対等の精神に基づく合併」を月岡が進めようとしたからだ。16年6月、出光の株主総会での創業家の突然の反対表明につながる。

泥沼の株式争奪戦が始まった。17年7月に会社側が実施した約1200億円の公募増資で創業家の持ち株比率は約26%に低下。株主総会で合併などの特別決議を否決できる「3分の1」の特権を奪われた。創業家側も「いずれ資金がショートする」との村上の進言を聞かず、17年12月までに約2%買い増し、約28%となった。

それでも状況は大きく変わらず、昭介の焦燥感は募る。脳裏によぎるのはまもなく50代にさしかかる2人の息子たち。長男は出光を既に退職、次男は出光に残っているものの、要職からはほど遠い地位にいた。

「僕なら出光から最大限の譲歩を引き出してみせますよ」。過去に外部資本の受け入れを嫌がった昭介が頼ったのは、皮肉にもファンドマネジャーとして資本の論理を振りかざしてきた村上だった。3月ごろから月岡ら出光幹部との水面下の交渉が本格化した。

「創業家が推す2人の取締役を起用する」「自社株買いを実施する」「総還元性向を50%程度まで高める」――。出光が取得した自己株式の消却などで、創業者の持ち株比率を30%程度まで高める密約もあり、「自分の会社」を守り続ける道も開けてきた。6月末、昭介は条件付きながらも創業家が経営統合に賛成する文書に署名した。

ただ、7月10日の統合発表の裏には、なお溝も透ける。17年までは会社側と創業家が一堂に会した恒例行事。1月の宗像大社(福岡県宗像市)や3月の東慶寺(神奈川県鎌倉市)の参拝も18年は別々に行った。関係者は明かす。「昭介と月岡は合意の際も顔をあわせていない」

(敬称略)

19年4月に経営統合すると発表したものの、微妙な立ち位置の違いを残す創業家、出光経営陣、昭シェル。薄氷の経営統合の舞台裏を探る。



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