少子化対策を考える(上)戦後の倫理・制度大変革を 堺屋 太一 経済評論家 2014/09/01 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の経済教室面にある「少子化対策を考える(上)戦後の倫理・制度大変革を 堺屋 太一 経済評論家」です。

記事にある施策の有効性は理解できなくはありませんが、現代人のマインドから逸脱しているように見えます。そもそも、子を作ろう、という動機を醸成するような社会環境であるか、また、現代は多様な環境ですので家庭を持つ前に個々が実現させたいことに気軽に没頭できることもあります。何しろ、親の老後の経済力に依存している成人の子供がたくさんいます。





 今年に入って「人口問題」に関する調査報告や提言が相次いでいる。少子高齢化と人口減少は最も重大な長期問題である。だが、唱えられている対応策は月並みで、到底、根本的な解決になるとは思えない。「戦後日本」が積み上げてきた倫理と体制と制度の塊を抜本的に変えないと、流れを変えることはできない。

 この予測小説は評判になったが、人口問題専門家からは嘲笑を浴びた。「団塊の世代は1度限りの現象ではない。そのあとも一世代周期で人口の塊が生まれる。日本の主要な問題は人口過剰と土地不足。干拓などで農耕地を広げ、埋め立てや道路建設で工業用地と住宅団地を増やすことこそ急務」というのだ。

 しかし、団塊の世代の子供たち(団塊ジュニア)までは数多く生まれたが、団塊の孫(団塊サード)は増えなかった。この世代が生まれるはずの2000年代には日本の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子の数の予測値)が1.3にまで下がった。「戦後体制」ともいうべきものが根付いてしまったからだ。

 現在、少子化の著しい国・地域が2種類ある。

 第1は、ルーマニア、ポーランド、ウクライナなど旧共産圏の東欧諸国、もう1つは韓国、台湾、シンガポール、日本そして中国都市部など東アジアの工業化した国・地域だ。

 ところが、この2つにははっきりとした違いがある。東欧諸国は35歳以上の女性の出産が極端に少ない。出生率がまずまずのロシアでも、35歳以上の出産数は少ない。社会主義体制を採るキューバも同様である。日本やドイツは少子化国だが、35歳以上の高齢出産数はロシアやキューバを上回る。社会主義国家では子育ても「社会化」した。それが高齢出産を減らすらしい。

 一方、東アジアの工業化した国・地域では、24歳以下の若年出産が著しく少ない。例えば日本は、女性1000人当たりの出産数は19歳以下で4人、20~24歳で32人である。韓国の場合は僅かにそれぞれ2人と16人にすぎない。

 これに比べて先進国の中で出生率の高い米国は19歳以下が42人、20~24歳が103人である。フランスや英国も別表のように若年出産が多いのである。日本の若い女性が欧米並みに出産してくれれば、日本の長期人口問題は大幅に緩和されるはずだ。

 では日本をはじめ東アジアの工業化した国・地域では、なぜ若年出産が少ないのか。各国が工業化の過程で「人生の規格化」を進めたせいだろう。

 例えば日本では、高度成長期を含む1960年代から80年代までに、様々な社会経済計画を立て、官僚主導による規格大量生産化を推進した。全国総合開発計画では、工業と農業の生産現場こそ全国に広げるとしたが、経済の中枢機能や情報発信、文化創造などの「頭脳機能」は東京一極集中が前提となっていた。

 教育では、「没個性画一化教育」を徹底、ひたすら教育期間の延長を志向した。

 家庭と家族のあり方も規格化された。日本の家族は夫婦と未婚の子供だけで構成される核家族である。親類との血縁的付き合いや隣近所との地縁的付き合いは淡くし、職場社会にのみ帰属意識を持つべきだ、とされた。職場も、これに対応して終身雇用・年功賃金制度の採用が求められた。

 そうした社会風潮の中で「人生の順序」も規格化された。人生はまず教育を受けることから始まる。教育を終えれば就業し蓄財に励み、一定の蓄えができてから結婚、その後で出産する。

 出産後は育児に励むため多くの女性は退職するが、間もなく職場に戻り夫婦共働きで蓄財に励み、年金掛け金を積んで老後に備える。やがて定年退職、蓄えと退職金と年金で子供に負担を掛けずに老後を送る。それで子供に自宅でも残せれば成功である。

 これが戦後日本の「ジャパニーズ・ドリーム」だ。

 今日の日本の少子化は、この戦後体制に起因している。ここで作られた「人生順序」に従えば、経済が豊かになれば、教育年限が延び、結婚年齢も上昇、出産は高齢化する。

 そのことは当然少子化につながる。35歳から出産すればせいぜい子供は2人止まりだが、20歳から出産した時代には4、5人も普通だった。今も若年出産の多い米国では多数の子を持つ人が多い。

 もちろん、子を産むかどうかは個人の自由だが、個人の意志にも社会の風潮が影響する。好みで服装を選んだつもりでも、時の流行からの影響は免れない。

 高度成長時代に確立された人生順序は、日本人の出生、とりわけ若年出産を阻害する方向に働いた。だが、今や人類の文明は大きく転換した。大型化、大量化、高速化を追求する規格大量生産の近代文明は過去のものとなった。

 先進地域は多様化、情報化、省資源化を追求する多様な知恵の時代(知価社会)に入っている。日本はこの文明変化に乗り遅れている。

 個人の家庭や人生順序までを規格化した戦後体制からの脱却を図らねばならない。

 具体的な政策として、まず「安心して子を産める社会」を実現することである。

 安心して産めるためには、(1)評判(2)経済(3)手間――の3つが改善されねばならない。

 まず考えるべきは、教育期間中の結婚や出産を社会が許容する制度を創るべきだ。

 例えば、大学や専門学校に学生を対象とした託児所を設置させることだ。学生のうちに出産するのを便利にし、社会が認めたことを象徴する効果がある。学生の保育の実習やアルバイトにもなるだろう。大学や学校の経営を圧迫しないよう有料にすべきだ。

 第2は、両親が一定の年齢になるまでは、育児資金を低利で貸与する制度を創設することだ。長期年利が0.5%以下の今日では、ほとんど財政負担もないはずである。

 第3は、農山村に全寮制の保育所や小・中・高校を設けることである。

 もちろん、いずれも有料、前記育児資金の範囲で賄えるようにする。今や大都市周辺にも過疎化した地域は少なくない。そんな場所に都市で働く親が幼少年を週5日、安心して預けられる保育・教育機関を設立する。欧米にはそんな教育機関が数多くある。

 日本は学校を規格化したため、全寮制の幼少年教育機関は育たなかった。これが多数できれば若い親たちの勤労の助けにもなる。子供たちにも、幼少年の農山村経験は意味深い。また、過疎地帯の農山村では、育児・教育が村おこしに役立つに違いない。

 出産の若年化は、個人の人生の問題をも解決する。

 40歳で子を産むと、80歳の親の介護と1歳の育児を同時にしなければならない。それでいて職場では中堅の重責、夫婦で分担しても苦しい。

 仮に20歳から出産すれば、80歳の親の介護は60歳の子と40歳の孫が行い、20歳の曽孫は0歳児の育児に専念できる。それでこそ、伝統や技能の継承もできるのだ。

 少子高齢化の長期抜本的解決には、若い男女が安心して子を産み育てる倫理と制度の普及こそ大切なのである。多少の助成金や施設の改善で解決する問題ではないのだ。

〈ポイント〉○東アジアの工業国は若年出産が低水準に○「人生規格化」で教育年限延び結婚も遅く○大学に託児所、低利の育児資金融資を

 さかいや・たいち 35年生まれ。東大卒、元経済企画庁長官

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