米スタバ会長シュルツ氏退任へ 接客重視、世界3万店に 2018/06/06 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の「米スタバ会長シュルツ氏退任へ 接客重視、世界3万店に」です。





米スターバックスは4日、同社の実質的な創業者であるハワード・シュルツ会長(64)が26日付で退任すると発表した。米国ではかねて待望論が強い政界進出観測が浮上し、2020年の大統領選出馬も取り沙汰される。貧民街から身を起こして巨大コーヒーチェーンを築いたシュルツ氏に、米国が失いつつあるアメリカン・ドリームを重ね合わせる人が多いからだろう。

(画像:シュルツ氏は1981年に訪れたスターバックス1号店で飲んだコーヒーに衝撃を覚えた)

「みんなは私がスターバックスを救ったと言うけどそうじゃない。スターバックスが私の人生を救ってくれたんだ」。3年ほど前、米シアトルで会った際、シュルツ氏はこんな言葉を口にした。

ユダヤ系ドイツ人移民の長男に生まれたシュルツ氏は米ニューヨーク市の低所得者向け共同住宅で育った。父親はシュルツ氏が7歳の時に足を痛め、おしめを運ぶ仕事を失う。家計を助けるため12歳から新聞配達を始めると、アメリカン・フットボールの花形、クオーターバックとしての才能が認められて特待生として大学に進学できた。

米ゼロックスからスウェーデンの家庭雑貨企業幹部に転じたシュルツ氏は豊かな生活を手に入れる。直後の1981年に転機が訪れた。あるコーヒー豆販売店が大量のドリップ式コーヒー機を注文してきたのだ。それがスターバックスだった。

シュルツ氏はシアトルに飛び、スタバ第1号店を訪問。コーヒーの深い味わいに衝撃を受ける。当時の米国は安価なロブスタ種が流通しており、全く違う飲み物に思えた。シュルツ氏が4日に従業員に宛てた書簡でも「この瞬間に生涯の旅が始まった」と振り返った。

高給を捨ててスタバに移ったシュルツ氏が飛躍のヒントを得たのはイタリア・ミラノへの出張時だった。エスプレッソバーで接客役のバリスタに感銘を受ける。早速、バリスタによるサービスに重点を置く高級カフェ出店を提案したが創業者に受け入れられない。独立してシアトルにイタリア式カフェを開業した。

それから2年後。スタバが身売りを考えているという話が伝わり、古巣の買収を決断した。この時、スタバは6店舗。商号はスタバに統一したが、コーヒー豆販売から高級カフェに事業内容を転換して店舗を広げた。

低所得者用施設で育った子が、曲折を経て3万店近くを展開する世界的なコーヒーチェーンを築いたのだ。「スターバックスが私の人生を救った」と言うのは、成功のチャンスを与えてくれたことへの感謝だろう。

シュルツ氏はこれからどんな夢を追うのか。米国内で関心が高いのは大統領選への出馬だ。民主党支持者として知られ、移民政策などを巡りトランプ大統領を批判していることから「トランプ・キラー」としての期待も高い。シュルツ氏自身は退任に際しての書簡で「慈善活動から公職まで色々な選択肢を考えている」と述べるにとどめた。

少年時代、シュルツ氏は眠る前によく、こんなことを考えたと言う。「未来を映す水晶玉があったら」。未来を悲観し、恐ろしくてのぞき込めないと思ったそうだ。経営者としてスタバを去る決断をした今、シュルツ氏の水晶玉にはどんな未来が映っているのだろうか。

(杉本貴司)



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