経営の視点イラン市場再参入の条件 「特別扱い」今は昔の覚悟を 編集委員 松尾博文 2016/02/29 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の企業面にある「経営の視点イラン市場再参入の条件 「特別扱い」今は昔の覚悟を 編集委員 松尾博文」です。





 核問題をめぐる経済制裁の解除を受けて、イラン市場への関心が高まっている。豊かな石油・ガス資源と8千万人の人口。丸紅の国分文也社長は「今年一番の注目市場はイランだ」と言い切る。日本企業が競争を勝ち抜き、足場を築く条件は何だろうか。

 首都テヘランから空路で1時間あまり。南西部のアフワズはイランの石油産業の中心都市だ。20世紀初頭、この町の北東でみつかった1本の油井から「石油の世紀」は始まった。ここはまた、日本とイランの記憶をつなぐ場所でもある。

 出光興産を興した出光佐三氏が、英国の封鎖をかいくぐり、タンカー「日章丸」を送り込んだアバダン港。革命や戦争に翻弄された悲運のプロジェクト、イラン・ジャパン石油化学(IJPC)。そして、制裁下で日本が開発権益を手放した巨大油田アザデガン。どこへ行くにもアフワズが入り口になる。

 「10年間、旧IJPCで働きました。日本が撤退した後でしたが……」。今月初旬、アザデガン油田を案内してくれた国営石油会社の関係者が笑った。油井の掘削現場には国際石油開発帝石が権益を持っていた時代に、日本で研修を受けた技術者もいた。

 第2次世界大戦後、絶えず国際政治に揺さぶられてきたイランは、愛憎入り交じる欧米との関係と異なり、アジアの一員としての日本を好意的な目で見てきた。日章丸やIJPCは両国の「特別な関係」を築く礎になってきた。足跡は今も様々な場所でみつかる。

 石油・ガス開発、プラント、自動車、航空機。制裁という長いトンネルを抜けたイラン市場はブームに沸き立つ。日本は特別な関係をどこまで強みにしていけるだろうか。

 日章丸が決死の航海を敢行したのは1953年。約40年後、テヘランを訪れた佐三氏の長男、出光昭介社長(当時)は「誰もが出光と日章丸のことを覚えてくれていた」とイラン側の歓待ぶりに感激した。

 さらに20年以上を経た現在、百田尚樹氏の小説「海賊とよばれた男」が取り上げたことで、日本では日章丸事件への関心が高まっている。だが、実際の原油売買の場で「イラン側が日章丸を話題にしたり、出光が特別扱いを受けたりすることはない」(出光興産)。

 かつてイラン・ビジネスで存在感を放つ商社マンがいた。ある大手のT副社長(当時)はイラン石油関係者とパイプを築き、同国産原油の調達に大きな影響力を持ったとされる。

 強引なやり口に眉をひそめるライバル社もあったが、イランが資金繰りに窮した際には原油を担保に日本が資金を貸し付ける枠組みの実現に奔走し、イランからも頼りにされた。アザデガン油田の交渉でも橋渡しをしたといわれている。

 イラン市場の扉が開いた今、深く食い込む人材は見当たらない。長い経済制裁がもたらした何よりの損失は人脈の途絶なのだ。

 記憶は風化し、人脈は途切れる。制裁下で日米欧の企業が身動きが取れない間にイラン市場で足場を固めたのは中国。そこに欧州勢が加わる。日本は特別な関係を結び直すところから始める覚悟が要る。



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