経済教室 企業、負債の活用に節度を 資本構成に余裕必要 伊藤友則 一橋大学教授 2015/08/04 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の経済教室面にある「経済教室 企業、負債の活用に節度を 資本構成に余裕必要 伊藤友則 一橋大学教授」です。





 日本企業はしばしば外国人投資家から「無借金経営は資本効率が悪い」との批判を受ける。企業はどの程度負債を活用すべきなのか、レバレッジ(負債の活用)は企業価値や株価を上げるのに貢献するのか、といった問いに答えるのが最適資本構成の理論である。本稿では、この伝統的理論を実際の企業経営にどのように適用すればよいのかについて考える。

 近代ファイナンス理論における最適資本構成の議論はモジリアーニ・ミラー(MM)の第1命題、すなわち「税のない世界では、資本構成にかかわらず企業価値は一定」という理論から始まる。現実の世界では法人税が存在し、負債の金利費用が税務上の損金として認められるので、その節税効果の分だけ企業価値は増大する。資本コストからみると、負債の導入で加重平均資本コストが下がり、企業価値を増大させることになる。

 その企業価値の増大分は、最大で負債額に法人税率を掛けた金額に相当するので、負債が増えれば増えるだけ大きくなる。一方で、負債が増えすぎると破綻懸念コスト(Cost of Financial Distress)が発生し始める。破綻懸念コストには、会社破綻時に発生する弁護士費用などの直接的コスト以外に、破綻の可能性が出てきた時に顧客が製品の購入をやめたり、取引先が商品の納入を渋ったり、資金調達ができないため優良な投資案件を見送ったり、というように会社の利益やキャッシュフローを減少させる間接的な「コスト」も含まれる。

 負債比率が大きくなると、負債に伴う節税効果というプラス要因よりも破綻懸念コストというマイナス要因が上回るようになり、企業価値をかえって減少させる。企業価値が減少し始める直前の資本構成、すなわち企業価値が最大化されるような資本と負債の構成を最適資本構成という。負債に伴うメリットとデメリットとのトレードオフ(相反)により、最適な資本構成は決まるという理論なので、「トレードオフ理論」と呼ばれる。

 図はこの関係を示したもので、中ほどの「最適資本構成」のポイントが伝統的な最適点を表す。これ以外にも資本構成の理論はあるが、このトレードオフ理論が最も一般的に普及している理論である。

 トレードオフ理論によれば、最適資本構成を達成するよう、ある水準まで負債比率を上げることが企業価値(そして株価)を最大化する。逆に、無借金経営や負債比率が低い状態は、資本効率が悪く企業価値は最大化されていないことになる。ファイナンス理論上は、負債は「善」で、現金が余っている状態は「悪」というわけである。

 どの程度の負債比率で最適資本構成に到達するかは、当該企業の競争力、キャッシュフローの安定度合い、破綻懸念コストの大きさなどにより左右される。キャッシュフローが安定している業界(例えば電力やガス)では負債比率が自己資本の3~4倍でも全く問題がない。一方、キャッシュフローが変動しやすい業界(例えば石油採掘)では負債比率が比較的低い水準が最適になる。人材の質が競争力の源泉になる業界(例えばIT)などでは、破綻懸念があると優れた人材は集まらなくなるので、許容される負債比率は低くなる傾向がある。

 最適資本構成の理論を現実の企業経営に適用するうえで注意を要する点がある。かつて写真用フィルム市場を二分した富士フイルムホールディングスと米イーストマン・コダックの事例を紹介する。

 アナログフィルムの世界市場がピークを迎えた2000年の両社の世界市場シェアは37~38%でほぼ拮抗していた。しかしデジタル革命の結果、それから10年ほどでアナログフィルムの市場はほぼ消滅した。富士フイルムは現在でも健在なのに対して、コダックは12年に破綻している。

 その明暗を分けた要因の一つが資本構成の問題だ。富士フイルムは00年末に自己資本比率が70%に達し、約8千億円の現金を保有するなど、極めて「非効率な」資本構成を維持していた。一方のコダックは自己資本比率24%、負債比率(D/E)が1倍という「優等生的な」資本構成だった。コダックは自社株買いの原資として多額の社債を発行しており、意図的にレバレッジを上げ、「最適資本構成」を追求することにより株価を最大化しようとしていた。

 富士フイルムは利益の3分の2を稼いでいたアナログフィルム事業に代わる事業として、印刷・コピー機、液晶フィルム、医薬品、医療機器などの多角化事業を育てて危機を脱した。00年からの12年間に研究開発に2兆円、設備投資に1兆7千億円、M&A(合併・買収)に7千億円もの多額の資金を投入している。経営陣のリーダーシップも生き残った要因だが、余裕のある資本構成と強固な財務体力も重要な役割を果たした。

 コダックは医薬品、化学、コピー機、精密機器などの事業を売却してフィルム専業になったことや、短期志向の経営陣などの要因に加え、余裕のない資本構成と激動を乗り切るには弱すぎる財務体力が災いした。主力製品の消滅まで10年という時期に、レバレッジを上げて「最適資本構成」を追求すべきではなかった。

 ここまでの激変でなくても製品のライフサイクルの短期化はどの業界でも共通している。安定した市場を前提にした伝統的な最適資本構成の考え方を、そのまま現在の企業に応用するのはリスクがあり、若干の修正が必要である。

 また、「最適資本構成となる負債比率は一定で不変」というのがトレードオフ理論の暗黙の前提だが、実際はその最適点は市場環境により移動すると考えられる。例えば、08年のリーマン・ショック後の状況では世界中の投資家のリスク回避姿勢が強くなり、負債比率の高い会社を敬遠する傾向が明確に表れた。その結果、金融危機前は「最適資本構成」だった会社も突然、「負債過多」になるという事態が発生している。これは、市場環境により、最適点も移動することを示唆している。

 以上の2点からすると、現代ではレバレッジをぎりぎりまで最大化し、伝統的な「最適資本構成」を追求するのではなく、資本構成には多少余裕を持たせるのが肝要ということになる(図の「目標とすべき資本構成」)。

 最近、転換社債(CB)を発行し、その資金で自社株買いをする「リキャップCB」という財務手法がはやっている。これも最適資本構成の理論に基づいている。負債調達による自社株買いの結果、負債比率を一挙に上げ、最適資本構成に近づけるという積極的財務戦略である。一時的には株価にプラス要因かもしれないが、こうした手法が本当に望ましいのか企業ごとに慎重に検討する必要があろう。

 もちろん、無借金経営が常に正しいわけではないし、使う見込みのない現金をため込んでいいわけではない。負債を適度に利用することは資本コストを下げ、企業価値を上げる効果がある。また株式資本コストは高いという認識のもとで、資本コストを上回る投資利回りが得られないならば、当然、配当などで株主に資本を還元すべきである。

 しかし、激動の時代の企業経営では、効率を最大限追求するリスクが存在するという認識が求められている。資本構成の余裕は決して無駄ではないのである。

<ポイント>
○企業競争力などで最適な負債比率異なる
○米コダックは最適資本構成を過度に追求
○適正企業も金融危機後には「負債過多」に

 いとう・とものり 57年生まれ。ハーバード大修士。東京銀行、UBS証券を経て現職



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