親日の街、大連の日本人 2018/07/06 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の「親日の街、大連の日本人」です。





中国東北部、遼寧省大連。工場が多く立ち並ぶ地区の一角で、斉藤晃生さん(47)は今春、14年に及ぶ中国生活の再スタートを切った。約7年勤めた中国企業を辞め、自ら物流会社を設立。日本と中国の商流を結ぶ「懸け橋になりたい」と意気込む。

(画像:斉藤さんも大連に残ることを決めた一人だ)

日本の物流会社で10年間働いた後、30歳を過ぎて大連への留学を決意。複数の会社を渡り歩き、起業を決めた。中国人の妻と中学生の息子は日本で生活しており、中国にとどまることに迷いはあった。それでも、大連で多くの中国人に世話になった。留学のきっかけをつくったのも大連出身の留学生。起業は、その恩返しの意味合いも込める。

大連は日本との結びつきが極めて深い。1904年に勃発した日露戦争を経て日本の租借地となり、南満州鉄道が一帯を開発。当時の建物や路面電車は今なお残り、下水道や道路などのインフラ基盤は満鉄時代のままという。日本語教育が盛んで日本に親しみを感じる中国人が多い。

ただ近年はその姿を変えつつある。かつては安い労働力を背景にした「加工貿易型」の日系企業が大連経済を支えた。だが中国の経済成長に伴う人件費高騰などで、撤退・縮小へと転じた。日系企業は2016年時点で約1700社、在留邦人は5千人強。その数は減少の一途をたどる。関係者によると、大連の法人税納付額トップは近年、日本から中国に代わった。日本語を学んでも就職先がない若者が徐々に大連を去る。

日本企業も広東省広州や深?、上海などハイテク産業の隆盛で経済成長が続く地域に目が行く一方、大連は存在すら忘れてしまったように映る。それでも、斉藤さんのように大連でのビジネスに懸ける日本人はいる。

人材コンサルティングサービスを手掛ける阿部篤志さん(40)もそんな一人だ。14年にそれまで勤めていた日系企業が大連のオフィスを閉鎖するのに伴い、職を失った。帰国か、残るか――。悩んだ末、足かけ10年以上住むこの地で、人生の勝負をすることにした。

起業から3年。無収入の時期も乗り越え、事業もようやく軌道に乗ってきた。阿部さんは「大連は人と人とのつながりが密接。(日本や他の地域と異なり)会社の知名度ではなく、人間性で判断してもらえる」と話す。

親日的な街は一朝一夕にできあがるわけではない。日本が世界でも存在感を失うなか、従前通り、誰もが注目する地域に投資をしても、資金力で上回る中国企業を超える存在感は出しにくい。ならば、資金以外で優位性を保てる場所を確保する方が、今後は得策ではないだろうか。

(大連=原島大介)



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