迫真 迷走セブン&アイ(下)ビルから出てください 2016/04/23 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の総合1面にある「迫真 迷走セブン&アイ(下)ビルから出てください」です。





 「あなたは経営がどんなものか何も分かっていない」。15日に開かれたセブン&アイ・ホールディングスの指名報酬委員会。社長の村田紀敏(72)は声を張り上げた。もめるはずのなかった委員会で何があったのか。

7日の引退表明記者会見では「逃げ出すわけではない」と語った(東京都中央区)

 「『最高』とはどういうことですか。影響力が残るのでは」。きっかけはやはり社外取締役の一橋大大学院特任教授、伊藤邦雄(64)の発言だった。退任する会長の鈴木敏文(83)にセブン&アイは名誉職を用意する方向で調整してきた。伊藤は「最高顧問」という肩書が気に入らなかった。

 20年以上にわたってグループのトップに君臨してきた鈴木。セブン&アイにとっては要の存在が突如消えることによる影響の大きさは計り知れない。指名報酬委で議論する対象は持ち株会社の取締役と執行役員、事業子会社の社長であり、退任する鈴木の処遇まで社外取締役から意見を聞く必要はない。影響力の排除を声高に主張する伊藤に村田は言葉を失った。

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 セブン&アイが19日に開いた取締役会はセブン―イレブン・ジャパンの社長を務める取締役、井阪隆一(58)の社長昇格などを正式に決議した。その後に発表したグループ人事の資料に鈴木の処遇は「退任」と記されただけだった。

 20日に開かれたイトーヨーカ堂の店長会議。全国から集まった店長や幹部社員を前に鈴木は「流通業に興味があったわけではない。しかし、約50年身を置いて、与えられた仕事を全うする信念を持って仕事をしてきた。セブンイレブンをつくるときも社内外で反対された」と語り始めた。「みんなが一丸となって前を見て、新しい仕事を、今何をすべきかを考えてほしい」と話し終えると、拍手がわき起こり、涙ぐむ社員もいた。

 鈴木が1974年に米国から持ち込み、日本に根付かせたコンビニエンスストア。鈴木と40年以上の付き合いがあるセブンイレブン1号店のオーナー、山本憲司(66)は「銀行をつくるときも相当な障壁があったはず。それでもお客さんにとっては必ず便利だという信念で実現させた。体力が続く限り辞めないと思っていた」と話す。

 7日のセブン&アイの取締役会では井阪をセブンイレブンの社長から外すという鈴木の考えた人事案が否決された。その場で「井阪を辞めさせる意味が分からない」と強い口調で発言した社内の取締役がいる。セブン&アイの名誉会長を務める創業者、伊藤雅俊(91)の次男、順朗(57)だ。無記名投票の決議でも順朗は反対票を投じた。

 ひと月前の3月8日、セブン&アイは不振が続くスーパー、百貨店の店舗閉鎖を柱とする構造改革計画を発表した。閉鎖の対象にはヨーカ堂の1号店、千住店(東京・足立)も含まれていた。

 北海道・東北が地盤のスーパー、アークスの横山清(80)は創業者の伊藤と家族ぐるみの付き合いを続ける。伊藤の妻が鈴木への不満を口にすれば、「やめなさい」とたしなめるのがいつもの伊藤の役回り。直近の会食の席、構造改革計画を伝え聞いていた伊藤が横山に漏らした「千住店を閉めるんだって」という言葉は寂しげだった。

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 1992年にヨーカ堂の社長を鈴木に譲って以降、創業者の伊藤はグループの経営から一定の距離を置いてきた。人事案の否決後、記者会見した鈴木は自身が主導した人事案に反対し、井阪を守った創業家の判断について、「世代代わりがあった」とだけ説明した。セブン&アイの筆頭株主である「伊藤興業」は創業家の資産管理会社だ。高齢の伊藤と妻に代わり、資産管理会社を切り盛りする役目は伊藤の長女に変わりつつある。

 今回の迷走劇。鈴木とともに主役となった井阪は今後、社長として巨大流通グループのかじ取りを担う。人事を巡っては井阪を支えることで利害が一致した創業家と「物言う株主」のサード・ポイント。しかし、祖業のヨーカ堂を憂う創業家、スーパーや百貨店など不採算事業の整理を求めるサード・ポイントでは描く未来図は異なる。

 鈴木は「顧問」を受けるかどうか揺れている。取引先やコンビニのオーナーに慰留の声が広がる一方、「影響力が残ります。本社ビルからは出てください」と井阪から言い渡されているからだ。カリスマを追い出し、グループの全権を握る井阪が背負うものは重い。

(敬称略)

 松田直樹、湯浅兼輔、豊田健一郎、宮住達朗、牛山知也が担当しました。



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