風見鶏 どう戦前に向き合うか 2015/08/02 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の総合・政治面にある「風見鶏 どう戦前に向き合うか」です。





 あの敗戦からまもなく70年になる。勝てる見込みがない対米開戦には、陸・海軍にも異を唱える幹部がいた。海軍でいえば、後に真珠湾攻撃を指揮した山本五十六や、海軍次官を務めたリベラル派の井上成美らが一例だ。

 井上は1942年、海軍兵学校(広島県江田島市)の校長となり、驚くべき行動に出る。軍事に偏りがちな指導を改め、敵の言語として使用が自粛されていた英語や、一般教養の教育にも力を入れたのだ。

 まもなく日本は戦争に負けるにちがいない。日本の復興を担う少年に最低限の教養を与えなければならない――。井上はそう考え、軍内の反対を押し切ったという(「井上成美」阿川弘之著、新潮文庫)。

 そんな江田島を先月、訪れてみると、昔日の面影が残されていた。

 旧海軍兵学校の敷地には、海上自衛隊の幹部候補生学校がたたずみ、赤レンガの校舎もそっくり受け継がれている。朝6時に起き、上半身裸で体操する日課も戦前と同じ。海軍の伝統を教えるため、36年、敷地内に建てられた「教育参考館」も当時のままだ。

 同館では明治以降の武将らの奮闘ぶりなどが紹介され、東郷平八郎や山本五十六の遺髪が安置されている。今も「幹部候補生が歴史を学ぶ場として、使われている」(海自幹部)。

 ここからは旧海軍の伝統を継承していこうという姿勢がうかがえる。これに対し、正反対といってもいいのが陸上自衛隊だ。

 陸自の施設で、東条英機ら昭和の陸軍首脳の書や写真を目にすることはほとんどない。陸自幹部候補生学校(福岡県久留米市)では戦前史が展示されているが、教育参考館の規模とは比べものにならない。

 陸自は旧陸軍との関係をあえて断ち切り、今に至っているようにみえる。なぜなのか。防衛大学校1期生で、旧陸軍・陸自幹部OBでつくる公益財団法人「偕行社」の深山明敏・副理事長(80)に聞いてみた。

 「東京裁判で裁かれた軍人の大半が旧陸軍首脳だったこともあって、敗戦後、国内では陸軍悪玉論が根強かった。こうしたなか国民に認知してもらうためにも、陸自は旧陸軍との関係をいったん断絶し、まったく新しい組織として出発せざるを得なかった」

 どちらが正しいのかという単純な話ではない。陸自が旧陸軍との関係を断ったからといって、失敗を清算したことにはならない。一方で、海自についても「対米開戦に断固反対しなかった旧海軍首脳の責任も直視すべきでは」(軍事史家)との声がある。

 2005~09年に海上幕僚長、統合幕僚長を歴任した斎藤隆氏(67)は「旧海軍の良き伝統を残すことは大切だが、形式的に伝承すればよいわけではない。その失敗も含めて検証し、次に生かしていく努力が欠かせない」と語る。

 「戦前」にどう向き合うか。この命題への解を、日本はまだ描き切れていない。陸自や海自の歩みは他人ごとではなく、戦後、日本人自身が引きずってきた矛盾そのものといえる。

 「暴走した軍部と一部の政治家が悪かった」。日本は戦争の原因を半ばこう片づけ、何を、どう誤ったのか、国として冷徹に検証する努力を置き去りにしてきた。何を間違えたのかを突き詰め、心から納得しなければ、本当の反省にはつながらない。

 安倍晋三首相が今月、発表する戦後70年の談話の文言をめぐり、国内外の関心が集まっている。字面より大切なのは、日本として何を反省しているのか、明確に語ることだ。

(編集委員 秋田浩之)



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