2014/09/17 本日の日本経済新聞より 「経済教室 アジア新競争時代 対応を」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞14版の29面(健康)にある「経済教室 アジア新競争時代 対応を」です。





 四半世紀前、ワシントンと東京で耳目を集めていたのは、危機的に増大する日米間の貿易摩擦であった。米国の対日貿易赤字は1980年代後半には米国の赤字全体の4割前後を占めていた。日本にしても、米国市場への依存度は非常に高く、多様化する見込みも薄かった。

 84年当時は日本企業が最も競争力を有した自動車、工作機械、半導体などの業種で、米国が紛争解決のために輸出国と結ぶ市場秩序維持協定(OMA)により、40%近い日米間貿易が規制されていた。

 当然、日本は米議会や、米国際貿易委員会(ITC)のようなワシントンの規制機関にロビー活動を集中させた。米国の保護主義は日本企業、特に自動車・電機業界の経済的利益にとって明白な危機であったからだ。

 時は流れ、2013年、米国の経常赤字は国内総生産(GDP)の2%にすぎない。米国の輸出拡大やエネルギー生産の増加、そして日本企業が長期の視点から米国への直接投資を増やしたことによるものだ。一方、米国の対中国の貿易赤字は日本の4倍以上とはるかに大きく、ますます拡大している。

 近年、日本の自動車メーカーは米国内で8.3万人もの労働者を直接雇用し、生産台数は年間300万台を優に超えている。貿易摩擦のころとは打って変わり、米国内の生産拠点から輸出することにより、米国の経常収支の改善にも貢献している。

 95年の世界貿易機関(WTO)の出現は、国際企業が活動する政治経済のチェス盤を一変させた。OMAのような規制が無効となり、より市場主義的な貿易が復活し、多国籍企業が米政府機関と規制について調整する重要性は低下した。中国、インドなどの新興国市場の勃興もあり、日本の米国市場への依存度は劇的に減少した。

 日本企業・団体がワシントンでの政治経済的なプレゼンスを縮小し始めたことは驚くに値しない。外務省系の日本経済研究所(JEI)は01年、経団連は09年にワシントンから去った。

 21世紀初頭、その静けさのなかで、日本そして日米関係にとって、新しい政治経済的な挑戦が姿を現した。

 新しい挑戦は、皮肉なことに貿易摩擦が激しかったころのような米国の強い要請・圧迫によるものではなく、むしろ反対の「ジャパン・パッシング」、すなわちワシントンでなされるアジェンダ(課題)設定の過程で、日本の持つ関心が全く考慮されなくなったことによるものであった。

 こうした微妙な挑戦を認識し、対応することは日本の政策決定者には特に難しいことであった。過去の厳しい貿易摩擦の経験から、彼らは米国の政策決定者が無関心であることを良しとする傾向があり、問題を認識しにくかったのである。

 90年代後半以降、米国が最重要政策と位置づけた2国間の自由貿易協定(FTA)に対し、日本は関心を示さなかった。米国はアジアでは韓国、シンガポールとの間で、さらにはイスラエルからチリに至る非アジア諸国とも締結したが、日本とは締結しなかった。

 実は過去の貿易摩擦のほうが問題は単純であった。日本の外交政策の関心が主に日米2国間のものである限り、ワシントンでの課題設定によって日本が困難に直面しても、直ちに解決しないのなら、先延ばしすればよかったからである。しかしながら、北東アジア主要国の政治経済的な相違が強まり、ワシントンでの中国や韓国の活動がより積極的になるにつれ、ジャパン・パッシングは非常に深刻な問題となっているのである。

 日本、中国、韓国の間の摩擦を最も深めているのは領土と歴史の問題である。領土問題を巡る主張の相違は非常に長期にわたり、韓国は50年代半ばに竹島を占領し、中国は70年代に尖閣諸島の領有権を主張し始めた。しかし中韓との領土問題がより深刻な政治問題となったのは、2010年以降であった。

 植民地政策と第2次世界大戦の歴史的な解釈を巡る相違はあっても、少なくとも00年までは政治的に大きな対立になることはほとんどなかった。過去にも首相の靖国神社参拝が隣国との間で議論を呼ぶことはあったが、昨年末の安倍晋三首相による参拝に対するユーラシア大陸からの反感や外交的対応のようなものは引き起こさなかった。

 北東アジアでの対立関係の新時代は、地政学的な領域にとどまらず、政治的・経済的、そして社会的な側面をも含む。それは重要であるにもかかわらず、まだ十分に認識されていない。

 図は米国におけるアジア系米国人の人口の推移を示している。実はこれが国際政治における重要な意味を持つ。アジア系米国人のうち日系人の割合は現在では15%であり、65年当時の半分近くまで落ち込み、中国系や韓国系にはるかに数で及ばない。

 こうした米国内の人口動態の変化こそワシントン政治に影響を及ぼし、ひいては北東アジアでの対立を激化させていることを日本はよく理解すべきである。そのうえで目に見える歴史や領土問題だけでなく、もっと幅広い自国の利益を守るため、ワシントンで特に注意を払いながら積極的に活動しなくてはならない。

 経済分野での日本の新しい挑戦と、ワシントン政治との関係を理解するためには、電機や自動車、原子力産業、船舶建造といった製造業における、日本・韓国そして中国の間の競争と相互依存を考慮することが重要である。

 日本は05年ごろまで、アジア域内での生産の「雁行(がんこう)形態論」的なパターンのもと、こうした業種で卓越していた。日本は複雑な製品の工程で高付加価値の中核部品を手がけ、低付加価値の部品を他地域に下請けに出していた。しかし最近は、特に韓国が完成品生産と価格の面で激しい競争を仕掛けてきている。

 情報革命もまた、07~12年の円高と相まって、北東アジアの貿易競争、特に電機や精密などでの日韓の対立を強めた。携帯電話は最も対立の激しい分野の一つである。競争は中国のような急速に発展する市場で特に激しさを増す。このように、円と韓国ウォンなどの為替レートを巡る問題のほか、工業規格や知的財産権保護のような規制の問題が、アジアにおける厳しい政策論争の新しい舞台になっているのだ。

 近年、北太平洋地域は質的に全く異なる政治経済的な新たな競争時代に突入した。それは70~90年代とは全く異なる地政学的な特徴を持つ。

 自動車産業のようなアジアの主要な製造業が製造拠点を米国に移し、日米貿易摩擦やOMAに代表される環太平洋貿易戦争の時代はほぼ終わった。米中貿易は甚だ不均衡ではあるものの、かつて日米間に生じたような摩擦は起きていない。それは多くの米国企業が中国で生産をしていること、また中国のワシントンでの活動の成果でもある。

 この10年来、太平洋間の対立というよりむしろ、アジア内の対立がますます顕著である。この政治経済的な対立は日本、韓国そして中国の間で特に激しい。技術や賃金の水準が収束に向かうにつれ、円滑で階層的な相互補完関係を持つ初期の雁行形態論的な時代は、より激しい地域的な摩擦の時代へと移行した。

 歴史や領土に関する相違を中心とした政治的な摩擦は、産業や財政の点における対立との相互作用も起こしている。こうした緊張は政治経済の競争時代を生む原因となっており、日本に対し、ワシントンや世界各地での一層の積極的な行動を迫っている。

 Kent E. CAlder(ケント・カルダー) ハーバード大政治学博士 ライシャワー東アジア研究所・所長

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