2014/12/12 本日の日本経済新聞より「富の集中証明、世界に波紋 「21世紀の資本」と格差 橘木俊詔氏 京都女子大学客員教授」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の経済教室面にある「富の集中証明、世界に波紋 「21世紀の資本」と格差 橘木俊詔氏 京都女子大学客員教授」です。





 文学、哲学、歴史の記述を含んだ経済書の登場である。この「21世紀の資本」は血も涙もなく数式と計量方程式で満ちた専門書とは異なり、読者を引き込む。経済の基本的な専門用語さえ知っておれば、誰でも読みこなせる。

 200年以上にもわたる長期の歴史的な統計を駆使し、仏英米が中心であるが日本を含めた資本主義国約20カ国をカバーしており、壮大かつ世界的な経済史としても説得力がある。英語版の出版後、ノーベル賞経済学者のジョセフ・スティグリッツ氏やポール・クルーグマン氏が絶賛し、一挙にベストセラーとなった。

 著者トマ・ピケティ氏の結論は、200年以上の歴史のなかで、第1次と第2次世界大戦の間と、第2次大戦後のしばらくの間は、格差の小さい時期もあったが、それ以外の時代は格差の大きい時期とする。そうすると19世紀と現代は格差の大きい時期に相当することになる。

 分析の手法としては資本と労働という二大生産要素のうち資本に注目して、資本を保有する資産保持者がますます富を増大させていることを明らかにする。本のタイトルはここからきている。すなわち資産保有額のトップ1%やトップ10%の人々について、その国の総資産額に占める比率が非常に高くなっていることを示したのである。

 数年前の米国で「1%の人が99%の人を支配している」という標語のもと、富の象徴であるウォール街を占領せよ、というデモがあり、格差社会が批判された。ピケティ氏はその標語の正しさを、日本を含めた資本主義国の多くで統計的に検証したのである。同じことを高所得稼得者についても行っている。

 経済理論としてはマルクス経済学のそれを応用せず、ポストケインジアンの成長理論として有名なハロッド=ドーマー理論を用いた。そういう意味では彼はマルクス経済学者ではなく、俗にいう近代経済学者である。

 この理論はまず、資本・所得比率(β)が(s/g)に等しいという式で示される。ここで資本とはストックの概念、sは貯蓄率、gは所得成長率である。そしてもう一つ、重要な会計式、(α=r×β)を用いる。ここでαは「資本所得/国民所得」の比率、資本所得とは資本から得られるフローの所得、rは資本収益率である。

 この2つの単純な式からβが(r―g)、すなわち「資本収益率と所得成長率の差」の関数であることを示し、この差の大きいほど資本の集中が進んで資本保有者がますます富むことを、20カ国のデータで確認したのである。

 この巨大なデータを1人で作成することは困難である。英国人で所得分配で高名なアンソニー・アトキンソン氏(英オックスフォード大学教授)などと共同で収集したデータを分析したのであり、分厚い本になることは当然である。仏語版で1000ページを超え、日本語版も700ページに達する。彼は10年ほどかけてこの大著を準備したのであるが、まだ40歳代前半の若さの人である。将来のノーベル経済学賞候補との声もある。

 読むと、経済学が数学に毒されていることを強烈に批判していることに気づく。すなわち、一般読者にはわからない数学を用いて理論を複雑にしすぎている現状を憂いている。確かにこの本は単純な式しか登場せず、図表もやさしく読めるものばかりである。

 ピケティ氏は仏の超エリート校である高等師範学校で数学を専攻し、これも名門校であるロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で博士号をアトキンソン氏のもとで取得した。今はパリ経済学校の教授を務めている。

 経済学者になってからは数学を用いた論文も書いていたが、今ではそうではない。本書の至るところで文学、歴史、哲学、社会学などの文献と、バルザックやトクビルなど知的巨人の名が続々と登場し、フランス伝統の高い知性や教養の深さをほうふつとさせる。数学の得意な人が経済学で数学を用いすぎることへの批判には説得力がある。

 ピケティ氏は(r―g)の現実の値から、資本収益率(ほぼ4~5%)が所得成長率(ほぼ1%前後)よりも高いことを示した。これを高所得者と高資産保有者がますます富むことの理由に挙げ、多くの国での格差拡大を証明したのである。格差社会を好まない彼はこの現状を打破するため、資本収益率を下げることが有効と考え、資本課税の強化を主張する。それも国際協調のもとですべての国で課税強化策を採用すべしとする。

 この政策提案は現実の世界での政治と経済を見渡すと不可能である、との反対論が強い。確かに当面は非現実的であろうが、私は主義としては記憶にとどめておきたい。かつてミルトン・フリードマン氏は変動為替制度を主張したが、ほとんどの人は無視した。しかし今はその制度のもとにいるのである。

 日本の高度成長期とその後のおよそ30年間、所得や資産の格差は小さく、いわゆる平等国家であった。ピケティ氏の理論に則すると、資本収益率rが低くて所得成長率gが高かったのであり、(r―g)が小さいか負の値が成立していた可能性があるので格差社会でなかったことを見事に説明していることになる。

 しかし筆者らによって1980年代頃から日本は格差社会に入ったとの主張が出始めて現在に至り、これを機に、格差論は再燃するかもしれない。確かにバブルの頃は資本収益率は異様に高かったし、その後は低成長経済なので、(r―g)の値がゼロ以上であり、格差の拡大をピケティ氏の論理で説明できる。特にここ20年あたりはgの値が極端に低いことが効いている。

 とはいえ、本書の主張は、トップ1%やトップ10%の高所得者や高資産保有者の動向によって格差拡大、あるいは不平等増大を検証している。所得や資産の分布上で下位50%の順位にいる人々に関しては、ひとくくりにしか評価されていない。下位半分の人のなかにもいろいろな人がいるし、貧困者も当然含まれる。資産保有ゼロの人や借金だらけの人もいるわけで、こうした低位にいる人の存在も、格差を評価するに際して重要なのではないだろうか。

 図を見てみよう。先進諸国において国民の何パーセントが貧困という生活苦のなかにいるのか、相対的貧困率を示したものである。これによると、やはり米国がもっとも貧困率が高い。ピケティ氏はトップの高所得者や高資産保有者の分析から米国が深刻な格差社会であることを示したが、貧困率の高さからもそのことが確認できる。

 興味深いのは日本である。主要先進国で第2位という貧困率の高さは日本が格差社会の国であることを証明する。直近では16%の高さである。ピケティ氏によると、日本も富裕者の視点からして格差社会にいることは確認できるが、英国や特に米国のような超富裕者の存在とは異なる。

 ここで一つの論点が浮かび上がる。格差社会を考えるときは、富裕層の動向からそれを論じるのか、それとも貧困者の存在からそれを論じるかである。前者に依存するメリットの一つは、ピケティ氏が示したように資本と実体経済(国民所得)の成長率との関係が分析できる点である。後者は資本とは無縁であり、生活に苦しんでいる。

 私の判断は、格差社会を考えるときは富裕層と貧困層の両者を同等に分析し、評価することが肝心ではないだろうか、ということにある。これはピケティ氏への批判ではない。富裕者の分析だけでも大部を要し、低所得者について詳細に分析する余裕がなかったと考える。日本への含意としては、まずは社会保障と教育の充実によって貧困をなくしてから、富裕層への課税をどうするかが課題となる。

〈ポイント〉○資本と所得の伸びの差があるほど格差大○日本はバブル後の格差社会への移行確認○資産分布50%未満の人々への分析は途上

 たちばなき・としあき 43年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大博士。専門は労働・公共経済

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