2014/12/19 本日の日本経済新聞より「経済教室 衆院選政権信任後の課題(下) 政治改革、停滞は許されず 野中尚人 学習院大学教授」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の経済教室面にある「衆院選政権信任後の課題(下) 政治改革、停滞は許されず 野中尚人 学習院大学教授」です。

今の日本の迷走、低迷は、政治体制によるところが大きく、利害ではなく、国家国民のための政治を実現させるべく、国政における喫緊の課題が整理された秀逸な記事です。





 総選挙が終わった。現状維持とはいえ、自公両党は大きな勝利を得た。これからの4年間は再び安倍晋三政権に託されることになった。

 しかし、今回の解散総選挙は何だったのか。過去最低の投票率は国民がその意味を図りかねた結果ではないのか。解散は消費増税の延期とアベノミクスの継続で国民に信を問う、とされた。既定の増税の延期は実質的に期限つきの減税提案であり、大義名分にはならない。任期のちょうど半ばの解散というのも不可解で、あと2年、アベノミクスと地方創生などに全力で取り組んだうえで評価を国民に問うべきだったのではないか。

 解散総選挙にはいくつかの「顔」がある。野党に対するかけ引きや、与党内の力学を見越したかけ引きといった面もあるが、他方で国民に対する説明と選択の提示が根本的に重要である。むろん、どの国でもこれらが混然一体となっていた。しかし欧州の主要先進国では、極端な政治的かけ引きを避けるため、近年は解散という制度自体をほとんど使えないようにしている。

 もともと議院内閣制での議会の解散は、政府の政策決定・遂行と、議会多数派の見解が深刻な対立に陥って身動きがとれなくなったとき、それを打開するための方策である。それは連立政権から与党の一部が離脱した場合や、政権党の内部が割れた場合などである。前回の野田佳彦首相(当時)による解散や2005年の小泉純一郎首相(同)の「郵政解散」にはそうした意味合いが強かった。しかし今回の解散には、そうした必然性がどこにもない。

 確かに解散が可能である限りは、そのプロセスから政治的かけ引きの要素を完全には排除できない。しかし肝心なことは、国民に対して説明がなされ、しっかりとした選択肢が提示されることである。この点で、野党勢力のふがいない姿は決定的な問題であった。安倍政権に代わる受け皿は、どこにも、かけらさえもみえなかったからである。

 政府与党にも重大な問題があった。誤解を恐れずにいえば、「説明をせず」、「都合の悪い側面には触れない」という傾向があまりにもひどかったのではないか。自民党の政権公約の冒頭では、景気回復にはアベノミクスしかないと主張され、これまでの成果が具体的な数字で示されている。しかしこれに、これまでどれだけのコストがかかり、今後どのようなリスクがあるのかは全く説明がない。

 財政再建は先送りとなったが、想定されたシナリオがなぜ失敗してしまったのかも説明はない。筆者は経済学者ではないが、日本が抱える膨大な財政赤字や急速に老齢化し人口が減少しつつある状況で、これだけの金融緩和や財政出動を繰り返せば、将来にどういうリスクが積み上がるのかは想像がつく。

 これを国民に何も語らなかったことを今後どう正当化するのだろうか。「すべては為政者にお任せすればよい。由(よ)らしむべし、知らしむべからず」ということでは、愚民観以外の何物でもない。

 憲法改正や安全保障についても、ほとんど何らの具体的な説明や提案も示されなかった。膨大な数の政策提案が並ぶ政権公約(政策BANK)での扱いも極めて小さい。

 安倍首相の主導で集団的自衛権についての「解釈改憲」を提起してから半年以上がたち、日米間でも様々な交渉がなされているはずなのに、何をどういう方針で具体化するのかは全く触れられないままだった。選挙後の打って変わった積極的な発言との落差には覆いがたいものがある。

 要するに、今回の解散総選挙は、国民に対する説明と選択肢の提示を拒絶し、野党にとどまらず、国民までも不意打ちにしたものだった。

 考えてみれば、1980年代にリクルート事件を機に政治改革が始められ、それ以来、様々な改善の努力が積み上げられてきていた。国民にとっての政策と政権の選択、透明で緊張感のある政党間競争の充実や政官関係の構築などが、たとえ不十分ではあっても徐々に進められてきた。

 誠に残念ながら、今回の解散総選挙は、そうしたすべての「あるべき姿」を打ち捨ててしまった。自民党政権以外に政権の選択肢がなかった30年以上昔の、いわば「白紙委任」選挙に戻ってしまったかのようである。

 いずれにしても、主要3政党と維新の党はほぼ現状を維持したが、その他の「第三極政党」はほぼ淘汰され、野党の側では、民主党の相対的な比重は半分にまで戻った。この状況を大きな流れの中でどう捉えるべきか。

 日本政治は、戦後長く続いた「55年体制」が90年代から変質し始め、小泉時代を経て大きな変動期に入ったと考えられる。派閥や族議員と年功人事に依拠した以前の自民党政治の仕組みに代え、21世紀という時代に適合する新しい政治の構造と仕組みを構築するための大きな過渡期といってもよい。

 そして、政策の方針とそれを担うリーダーや政党を国民が新しく選ぶというサイクルがあるとすれば、恐らく今回の総選挙は、その大きな変動期の中での第1サイクルの最終局面だったのではないか。民主党が約3年間の政権運営の失敗に対する国民の拒絶感を払拭できず、対抗政党として政権の受け皿たりえなかったことが、依然として重要な要素だったからである。

 しかし、この総選挙から先は間違いなく新しいサイクルが始まる。安倍政権と自公両党には権限が与えられ、同時に国民からの負託を実行することが求められる。特にアベノミクスの完遂と地方創生の推進が最重要課題となろう。

 他方で、野党勢力は次の総選挙に向けた準備をすぐにでも開始しなければならない。特に民主党は、あらゆる面での挑戦に愚直に取り組む姿勢が不可欠だ。それが失われた有権者の信頼を取り戻すための大前提ではないか。

 新代表の下で結束し、当面の政策課題への対応はむろん、将来のマニフェスト作成への取り組みも開始すべきである。どのような社会を目指し、いかなる政策を基本に据えるのか。また、人材の発掘や育成、政策調査・立案・討論とセットになった党内ガバナンス(統治)のあり方など、時間と労力を必要とする課題は多いからである。また、民主党と維新の党との間では、どのような関係を築くのかも大きな課題であろう。

 しかし、もう一つの大きな政治課題がある。政権、与野党を超えた、いわば日本政治全体の課題である。極端に形骸化した閣議、肥大化し、錯綜(さくそう)した内閣府と内閣官房の問題、十分な説得や意見集約の仕組みを持たない、いびつな政治主導の仕組みは深刻な問題である。

 欧州主要国の議会とは似ても似つかぬ「3周遅れのガラパゴス国会」にも是非メスを入れねばならない。二院間関係の調整と整備、国会内部での政府の地位と役割の確認、「仕分け」に類似したような調査や監視の機能など、決定的に出遅れている改革に何としても取り組む必要がある。

 少数派の権利を保護しつつ、同時に、しかるべき手続きを踏まえた上での多数派の決定権を確立させることも必要である。大いに討議し、その上で決定をすると言い換えてもよい。

 与野党を超えたもう一つの大きな課題は、政党自身のガバナンスである。党内民主主義や人材育成・登用のための仕組みの充実、意思決定ルールの確立、そして組織としての責任体制を備えてこそ、国民からの負託を担いうる存在になる。すべての主要政党は、この点を改めて確認してほしい。

 その上で、次回の解散と総選挙が、政府の公約遂行、ならびに各党の十分な準備に基づいた形で、真に国民の選択に資するものとして行われることを強く期待したい。

〈ポイント〉○今回の選挙は国民への説明や選択肢欠く○現政権の公約実行の評価を巡る新局面へ○いびつな政治主導や国会の抜本的改革を

 のなか・なおと 58年生まれ。東大文卒、東大博士(学術)。専門は比較政治学

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