2015/03/25 本日の日本経済新聞より「リー・クアンユー後のアジア 下 一党支配、もろ刃の剣に」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の国際2面にある「リー・クアンユー後のアジア 下 一党支配、もろ刃の剣に」です。





 ベトナム南部、隣国カンボジア寄りの海域に位置するフーコック島。規制緩和で外資企業誘致を目指すこの経済特区は、成長への期待を込めた「ベトナムのシンガポール」という異名を持つ。

 東西冷戦の終結後、世界には「米国型民主主義の絶対優位」という一つの潮流ができた。抑圧的な共産圏に打ち勝った民主主義と市場経済の組み合わせは、繁栄の解とされた。一党支配の維持を探るアジア新興国は、「例外」であるリー・クアンユー氏が率いたシンガポールの成功モデルによりどころを求めた。

 リー氏が創設した人民行動党(PAP)は50年にわたって政権を維持する。自由な言論は制限し、政府が間接出資する企業が存在感を保つ。国家の生き残りを最優先する政治思想で「アジア型民主主義」と呼ばれる。人権問題で批判も受けるが、この手法が奇跡的な繁栄をもたらしたのも否定できない事実だ。

中国成長の原点

 1978年11月。シンガポール西部の工場街に小柄な男性の姿があった。中国の鄧小平副首相(当時)だ。リー氏肝煎りで開発したこの地域では、優遇税制や簡素な規制を武器に外資誘致が進んでいた。

 「外国人が工場を建てることでシンガポールが得ている利益が分かった」。視察後にこう語った鄧氏は翌12月、中国共産党の重要会議で「改革開放」を掲げて主導権を握った。文化大革命後の荒廃から「世界の工場」へと駆け上がる原点はシンガポールにあった。

 シンガポール国立大学の「リー・クアンユー公共政策大学院」はアジア型民主主義の実務を伝える機関だ。これまでの卒業生約2000人のうち、中国人留学生は500人強と4分の1を占める。将来を嘱望される若手官僚も少なくない。中国はいまでもシンガポールを成長の手本に据える。

 一党支配の下での成長というリー氏が示した「別の道」は普遍性を持つのか。中国やベトナムとの大きな違いは、リー氏が成長の条件として一党支配による政情安定を選んだのに対し、模倣者たちは体制延命の方策として成長を必要としていることだ。目的と手段のすり替えは、後発国の政治・経済のゆがみにつながっている。

汚職を許さず

 たとえば政治の透明性。リー氏は汚職を嫌い、疑いをもたれた官僚は即座に追放した。一方、多くのアジア新興国は賄賂が今なお横行し、巨大な政府を維持するために複雑な規制が残り、企業進出の妨げとなっている。

 経済の開放性も大きく違う。シンガポールでは2000年代に格安航空会社(LCC)の進出を警戒する声が上がった。だがリー氏は「LCCがシンガポール航空のシェアを食ってもかまわない。放っておけ」と一蹴した。シンガポールは日米中や新興国と自由貿易協定(FTA)を結ぶ。中国や東南アジアの国々は自国産業の保護にこだわり、質の高い通商自由化に踏み切れない。

 リー氏が導き出し、いびつな形で翻訳されて新興国に広がったアジア型民主主義。中国経済は成長が減速し、ベトナムも浮き沈みを続ける。本来は手段のはずの一党支配が成長の足かせに転じれば、不満のマグマが吹き出し、アジア新興国の「安定」を揺るがしかねない。

 吉田渉、谷繭子、菊池友美が担当しました。

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