2015/03/31 本日の日本経済新聞より「経済教室 検証・異次元緩和2年(下) 持続的な成長 展望描けず 円安、人手不足に無策 翁邦雄 京都大学教授」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の面にある「検証・異次元緩和2年(下) 持続的な成長 展望描けず 円安、人手不足に無策 翁邦雄 京都大学教授」です。





 原油価格の低下を追い風に景気は停滞を脱却しつつある。株価も高い。しかし2年で2%の目標達成に強くコミット(約束)していたインフレ率は、マイナス転落の時期に関心が集まっている。この間、潜在成長率の日銀推計値は量的・質的金融緩和の導入後、むしろ下振れしている(図参照)。日銀の当初シナリオとは全く異なる展開だ。

 だが、この政策はインフレ率やコミットメントの成否で中間評価をすべきではない。重要なのは中長期の成長率を高めるのか、経済の不安定化をもたらさないか、代案はないのか、という点だからだ。

 中長期の成長率を展望するには、制約要因が需要不足か供給の天井かを見極める必要がある。2013年秋、恒常的な需要不足による先進国の長期停滞を論じた米ハーバード大学のローレンス・サマーズ教授の講演は世界的な反響を呼んだ。欧州諸国の多くはデフレ傾向の下で多数の失業者を抱え、失業率が下がってきた米国でも職探しを諦めた人たちが多く、賃金も上がりにくい。長期停滞論は欧米の現状に興味深い解釈を与え、不安をかき立てている。

 しかし日本では、かねて失業率が低く、00年代前半には団塊の世代(1947~49年生まれ)の60歳定年到達を機に人手不足が広がる可能性が指摘されていた。団塊世代の人口は各年200万人を超え、それ以降も何年かはこのレベルに近い。他方、10~20歳は各年120万人以下と、その60%に届かない。

 人手不足の顕在化は遅れた。定年延長や再雇用などの雇用制度の見直しにリーマン・ショックが加わったからである。だが12年、団塊世代は65歳にさしかかり、アベノミクスの需要刺激と相まって人手不足は13年には顕在化し始め、本年の春季労使交渉では大手企業の高額回答が相次いでいる。

 人手不足をもたらすのは、持続的な大量退職だけではない。団塊世代は7年後に75歳に到達し始め、この頃を境に介護を必要とする人の比率が加速度的に高まる。75~79歳では要支援・要介護者が65~69歳の約5倍になり、その後も急角度で上昇を続けるからだ。2月に決まった新たな認知症対策は「できる限り住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らし続ける」とうたい、家族の介護を基本とする。介護離職は労働力人口や潜在成長率をさらに押し下げる可能性がある。

 量的・質的緩和がこうした潜在成長率の天井を緩和する効果はごく限られる。一貫した(暗黙の)狙いである円安は、海外生産のコストを割高にすることで生産性の高い製造業に国内労働者を回帰させ、長期的な潜在成長率を高める、という主張もある。

 しかし、現時点でも、介護分野の有効求人倍率は2.6倍と極端な人手不足であり、今後、その一層の悪化が懸念される。こうしたなかで、厚生労働省が介護を外国人技能実習生制度の対象分野に含めるなど、海外労働者に介護の一部を依存することが長期的課題になりつつある。

 ところが円安誘導は海外労働者にとって日本での労働の魅力を低下させる。生産性が低い介護を誰が担うのか、という問題の答えがない限り、生産性向上の絵は描けない。

 潜在成長率を高める代替案はどのようなものだろうか。メディアでは成長戦略が主役とされ、アベノミクスでも「規制緩和による民間投資の喚起」がうたわれている。規制緩和は確かに重要だ。また、高齢者・女性が働きやすい環境整備も必要だろう。だが、平均寿命が伸び続けるなかで健康寿命をそれ以上に延伸させる官民の施策こそ「成長戦略」として不可欠といえる。

 加齢による健康リスクは多面的だが、それだけに、この戦略は労働力人口へのマイナスの影響を緩和するだけでなく、高齢化社会の需要拡大の源泉としても大きな意味を持ちうる。例えば認知症根治薬の先行開発に成功すれば、爆発的な需要を喚起するイノベーション(革新)になる。何より介護する人、される人の負担を軽減し、社会に成長を超えた大きな意味をもつ。

 量的・質的緩和のリスクに議論を移そう。懸念されるのは、出口で生じる金融システム不安定化である。長期停滞論では先進国の永続的デフレを懸念しているから、日本でも出口は訪れないという「楽観論」もある。しかし、日本では人手不足の深刻化がインフレを起こしやすくする。デフレ脱却には好都合だが、財政危機リスクは増大する。

 デフレは財政にとってメリットもある。この傾向が続く限り日銀は超金融緩和を続けることができ、政府債務残高の国内総生産(GDP)比がいくら高くても財政が破綻することはない。財政当局が直面する「デフレ脱却の不都合な真実」は、超低金利維持が困難になり、これに頼らずに財政の持続性を確保する必要が生じることである。世界的に突出して大きい政府債務のGDP比は金利上昇局面で急に大きな意味をもち始め、市場を不安定化させかねない。

 金融市場の不安定化を抑えるには財政への信認確保が一つのカギになる。この点は最近、本欄で論じられたので(3月10日付の早川英男氏)、ここでは出口のハードルを測る一助として戦前、高橋是清が蔵相時代に手がけた財政と比較してみよう。量的・質的緩和は高橋財政と異なり国債引き受けという「禁じ手」を用いていないから財政ファイナンス(財政赤字の穴埋め)ではない、という感覚が一般的と思われるからだ。

 しかし、これは錯覚である。まず高橋財政の国債引き受けの目的は、財政のファイナンスではない。実際、高橋財政ではおおむねこれを回避した。日銀に国債を引き受けさせた目的は、資金拠出でなく未発達だった市場機能の補完だったからだ。

 引き受けを開始した1932年11月から35年末までの間で日銀は引き受けた国債の90%を売りオペで金融機関に転売し、国債保有残高をあまり増加させていない。これが行き詰まったのは、財政が膨張を続ける一方、景気回復で金融機関への売りオペが困難化していったことによる。

 高橋は35年7月の声明で、公債の発行額を金融機関の消化能力の範囲内にとどめてきたことの重要性を指摘し、借金政策は永続できず、いずれ公債増発に伴う利払い費増加に追われ「結局、印刷機械の働きにより財源の調達を図らざるを得ざるに至り、かくしていわゆる悪性インフレーションの弊は必至の勢いとなるであろう」とし、財政政策を転換しようとした。しかし翌年2月、凶弾に倒れる。財政膨張に歯止めがかからないなかで、国債引き受けの目的も変化していった。

 量的・質的緩和も財政への資金提供は目的ではない。しかし高橋財政と異なり、「副作用」としてすでに巨額の財政支出をファイナンスしている。銀行が買った国債はワンタッチで日銀に転売され、最終的に日銀資金が財政支出を賄っている。これは実は高橋財政当時とは正反対の資金の流れであり、出口のかじ取りの困難さに直結する。

 なお、金利上昇局面では低金利の長期国債を大量に抱える日銀の資産が毀損される。その負担を誰に帰着させるかは、準備率や日銀当座預金への付利水準の設定などについての日銀の決定に依存する。

 しかし「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」とする憲法83条(財政民主主義)の理念は、日銀による巨額損失の裁量的配分とは両立しないはずである。許容されるなら、日銀の独立性という建前で財政民主主義を迂回するルートが開ける。金融正常化プロセスでのリスクとコストは、民主主義社会の日銀のあるべき姿を再考する契機にもなるだろう。

〈ポイント〉○潜在成長率の向上への寄与は期待できず○超高齢化社会に対応した成長戦略が必要○財政への副作用は「高橋財政」より大きく

 おきな・くにお 51年生まれ。東大経卒、シカゴ大博士。専門は金融政策、国際金融論

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