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体内菌、ミクロの「医師団」 免疫や精神状態など左右 2015/07/19 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞のサイエンス面にある「体内菌、ミクロの「医師団」 免疫や精神状態など左右」です。





 人間は、細菌のおかげで生きている――。人の体には約37兆個の細胞があるが、その10倍をはるかに超える約1000兆個の細菌がすみついている。この細菌たちが、病気になるのを防いだり、時には精神状態まで左右したりしていることがわかってきた。腸内細菌を入れ替えて病気を治す新しい医療技術も生まれている。最新の研究で見えてきた人と細菌との共生関係を探った。

 赤ちゃんは子宮の中では無菌状態だが、産道を通るとき、母親の持つ細菌がくっつく。出生後は周囲の人々との接触や食事などを通じ、細菌を取り込みながら成長していく。こうして大腸や胃、口の中、泌尿器、皮膚など、至る所に膨大な種類と数の細菌を持つようになる。

 人体にすむ細菌のことを常在菌といい、その全体をマイクロバイオーム(細菌叢=そう)と呼ぶ。人は約1000種類、約1000兆個もの細菌からなるマイクロバイオームを持つ。最も密集しているのが大腸で、ふん便1グラムあたり1兆個の腸内細菌がいる。

 近年、遺伝子解析技術の発達で、体内にある細菌の数と種類を丸ごと調べることが可能になった。腸内細菌は人が消化できない食物を分解して栄養素を供給しているだけではなく、人体の免疫や神経系の働きに影響し、健康状態を直接左右していることがわかってきた。

 理化学研究所などの研究グループは、腸内細菌が作る脂肪酸の一つである「酪酸」という物質に腸管の炎症を防ぐ働きがあることを、マウスを使った実験でつきとめた。

 下痢を繰り返す潰瘍性大腸炎や腸が狭さくするクローン病などの炎症性腸疾患は、本来体を外敵から守るはずの免疫細胞が過剰に反応する結果、異常な炎症が続くために起きるとされる。この免疫細胞の暴走を防ぐのが「制御性T細胞」という細胞だ。

 研究グループは、制御性T細胞が未分化なT細胞からできる際に働く遺伝子が、腸内細菌が出す酪酸によって活性化することをつきとめた。免疫細胞の一種の樹状細胞が腸内細菌を取り込み、未分化なT細胞に伝えると、制御性T細胞になる。酪酸はこの過程を促進する。大腸炎を起こしたマウスに酪酸を与えると制御性T細胞が増え、炎症が治まることも確認した。

 理研の大野博司グループディレクターは「ある種の腸内細菌に炎症やアレルギーを抑える効果があることは知られていたが、そのメカニズムを初めて確認できた」と語る。

 腸内のマイクロバイオームのバランスが崩れると、腸の病気だけでなく、様々な病気の原因になるとの見方が強まっている。肥満や動脈硬化、がんとの関係が示唆されており、研究が進んでいる。

 体の病気だけでなく心の状態にも、腸内細菌が深く関与しているらしいこともわかってきた。九州大学の須藤信行教授(心療内科)らのグループは、マウスを使った実験で、腸内細菌と心の関係の解明を進めている。

 マウスを狭い空間にとじ込め、ストレスを与える実験をした。体内に細菌がいない無菌マウスは、通常のマウスと比べてストレス関連ホルモンの血中濃度が高まり、強いストレスを感じていることがわかった。また記憶と学習に関係する脳の海馬や前頭葉などで、ニューロンの発達を促す物質の濃度が低下していた。

 だがこの無菌マウスにビフィズス菌の一種を投与したところ、同じストレスを与えてもストレスホルモンが通常のマウスと同程度にしか増えないことがわかった。

 別の実験で、無菌のマウスは「そわそわ動き回る」「ビー玉を何度もケージの中に埋めようとする」など、人の注意欠陥多動性障害(ADHD)などに似た症状を起こしやすいこともわかっている。

 腸の内壁にある神経は、迷走神経を通じて脳とつながっている。腸の神経がホルモンなどの情報伝達物質を介して脳と影響し合う「脳腸相関」が知られているが、腸内細菌はここに一枚かんで、中枢神経に影響しているらしい。

 常在菌を利用した新たな治療も登場している。健康な人の便を患者の腸に入れる「ふん便微生物移植」だ。13年にオランダのグループが、院内感染の下痢を繰り返し発症した患者に実施し、顕著な効果があったと報告した。

 国内では慶応大学が昨年から、潰瘍性大腸炎などの患者を対象にふん便移植の臨床研究を進めている。責任者の金井隆典教授は「病気と関係する特定の腸内細菌がわかれば、ふん便ではなく有効な微生物だけを選んで移植する方法も有望だ」と話している。

(編集委員 吉川和輝)



2015/04/05 本日の日本経済新聞より「革新力 The Company 2050年への選択(3)大腸菌が生む「石油」」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の1面にある「2050年への選択(3)大腸菌が生む「石油」」です。





 幅約2000分の1ミリメートル、長さ約500分の1ミリメートル――。縦長の楕円形をしたこの微生物は大腸菌だ。人間の腸内など自然界に無数に存在し、誰でも一度は聞いたことがあるだろう。この大腸菌を使って2050年のエネルギー事情を一変させるかもしれないプロジェクトが進行中だ。

大腸菌でペットボトル原料をつくる

 横浜市鶴見区にあるバイオベンチャー、ジナリスの実験室。ビーカー内の乳白色の液体が専用装置でかき混ぜられていた。数時間後液体は茶色に変わった。ビーカー内にある大腸菌が活性化し、新しい物質を作り始めたのだ。

 食中毒など悪いイメージが先行する大腸菌だが、大半は無害。むしろ単細胞のため遺伝子を操作しやすく、研究者の腕一つで様々な能力を備えた「スーパー大腸菌」に変身させることが可能だ。

 ジナリスはこの大腸菌を使って廃ペットボトルから工業用の材料を試験的に作っている。使用済みのペットボトルは繊維などの製品に生まれ変わることで有名。だが、それでも再利用できない廃液などの「残りかす」が出てくる。

 この残りかす。まだペットボトルの主成分などが、取り出せずに中に残っている。大腸菌の遺伝子を操作して、こうした成分を分解する能力を植え付け、半導体材料やペットボトルの原料としてよみがえらせるというからくりだ。

 ジナリスを率いるのは旧協和発酵工業出身の農学博士、西達也(60)。汚い物をきれいにしたり新しい特性を生み出したりする微生物のとりこになり、2001年に協和発酵を退社。翌年、4畳の自宅の一室から同社を立ち上げた。

 様々な微生物を研究するうち大腸菌の能力に着目。廃ペットボトルから材料を取り出せば石油の使用を大幅に減らすことができると考えた。現在、樹脂などの工業用材料の多くは石油由来。今のペースで消費が続けば石油は40~50年後に枯渇するとされる。日本は世界の資源の約4%を消費するが、大半を輸入に頼る「持たざる国」である。

 大腸菌を使ったリサイクル手法が確立すれば樹脂用の石油使用量は今の10分の1になる可能性がある。近い将来、「廃棄物でなく、植物と大腸菌を使い石油由来と同等の原料を作ることも可能だ」と西は言う。微生物がエネルギーの未来を左右する。

2050年への選択(3)持たざる国に夢の素材

 中国や米国などに次ぐ世界有数のエネルギー消費国でありながら、エネルギー自給率は約6%にとどまる日本。そんな持たざる国ゆえの苦悩が新たな発想を生む。今、素材分野で静かに革命が起ころうとしている。

鋼鉄より強い糸

 山形県鶴岡市にある大学発ベンチャー、スパイバーの研究開発施設。機械からはき出された「クモの糸」が次々に巻き取られていく。本物のクモが吐いた糸ではない。クモの遺伝子を組み込んだ微生物が作ったたんぱく質。それを糸状に加工したものだ。

 スパイバーはたんぱく質を量産して糸にするまでの一貫技術を持ち、世界のメーカーから注目を集めている。その理由は糸の強じんさにある。軽いのはもちろん、重さ当たりの粘り強さ(頑丈さ)は鋼鉄の約340倍、アルミ合金の300倍。産業利用が拡大する炭素繊維複合材(CFRP)と比べても20倍だ。

 さらに天然のたんぱく質だから、化学繊維や樹脂のように枯渇懸念のある石油も使わない。生産工程でも大量のエネルギーを消費しない。とくに資源不足に悩む日本にとっては「夢の素材」というわけだ。

 たんぱく質を構成するアミノ酸の配列を組み替えることで、様々な用途の糸ができる。例えば軽さと頑丈さの両立を求められる鉄道車両や航空機の胴体、衣料向けも有望で、2020年までの採用を目指す。

 すでに内外の企業からの引き合いも増えており、「金属やCFRPにとって代わる『たんぱく質産業』を2050年に実現させたい」。社長の関山和秀(32)は抱負を語る。

究極の循環社会

 「究極の循環型社会」。日本環境設計(東京・千代田)が目指すのはそんな未来像だ。不用になった衣料やプラスチック製品から石油と同等程度の品質を持つエタノールを取り出す異色の技術を握る。このエタノールを使って再びプラスチックなどを生産し、使い終わればまたエタノールにするという流れだ。

 「このリサイクル経済圏を作れば、2050年には日本はもう石油を輸入しなくてもよくなる」。社長の岩元美智彦(50)はこんな持論を唱える。

 リサイクル経済圏はすでに広がりをみせる。同社はイオンやビックカメラ、スターバックスコーヒージャパンなど約40社と提携。現在、1千カ所で衣類などの製品を回収しており、愛媛県今治市の工場でエタノールに変えている。

 2020年をめどに回収拠点を10万カ所に増やす計画。現在、不用品の原料を3割しかエタノールにできないが、20年にはこのリサイクル率を9割に引き上げるべく技術開発を急ぐ。

 国際民間組織ローマクラブが1972年、天然資源の枯渇や人口増大を背景に人類の危機を警告したリポート「成長の限界」。約40年後の今日、その危機は深刻さを増している。エネルギーを持たざるがゆえ、創意工夫に富む日本が素材革命を先導すれば「成長の限界」をいち早く乗り越えられる可能性が出てくる。

(敬称略)

2015/03/01 本日の日本経済新聞より「花粉症、コメを食べて抑制 抗原組み込み体が慣れる」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞のサイエンス面にある「花粉症、コメを食べて抑制 抗原組み込み体が慣れる」です。

スギ花粉症治療米、シダトレンよりも劇的に楽な治療法として期待されますし、農業が治療の一端を担うのは非常に画期的な話です。





 コメを食べ続けるだけでスギ花粉症が治る時代がくるかもしれない。遺伝子組み換え技術を駆使して「スギ花粉症治療米」が開発され、動物実験で効果が確かめられたからだ。体がスギ花粉の抗原を異物とは認識しないようになり、アレルギー反応が起きなくなる。医薬品としてのコメの実現が近づいてきている。

 東京慈恵会医科大学で2月から花粉症治療米の臨床研究が始まった。まず、健康な人で安全性を確認する。その後、製薬会社などと組んで、治療効果を調べる臨床試験(治験)に移りたい考えだ。慈恵医大総合医科学研究センターの斎藤三郎部長らは、マウスを使った実験で安全性と有効性をすでに確認済みだ。

 治療米と普通の米を3週間食べさせた後、スギ花粉を与えた。治療米を食べたマウスはアレルギー反応を引き起こすヒスタミンという物質の量が半分以下に減り、くしゃみの回数も4分の1に減っていた。スギ花粉症を発症して苦しむサルでも実験した。花粉に対してアレルギー反応を起こす免疫反応が大幅に抑えられることを確かめた。

 この治療米を開発したのは農業生物資源研究所(生物研)の高野誠遺伝子組換え研究センター長らのグループだ。治療米の見た目は普通のコメと変わらない。スギ花粉症の原因となる抗原(アレルゲン)と呼ぶたんぱく質の構造を変えた遺伝子をコシヒカリに組み込んだ。コメの中にできるペプチドと呼ぶたんぱく質の断片は胃で分解されずに腸で吸収されるよう工夫している。構造を変えているため、アレルギー反応は起こらないとみられる。

 患者の体内に花粉が入り込むと、抗原の情報がヘルパーT細胞という免疫細胞に伝わる。さらにB細胞と呼ぶ別の免疫細胞に働きかけて、抗原にくっつくIgE抗体と呼ぶ物質をどんどん作らせる。IgE抗体は肥満細胞に結合する。その状態の肥満細胞に抗原がくっつくと、細胞の中にあるヒスタミンが放出され、くしゃみや鼻水、鼻づまりといったアレルギー反応を引き起こす。

 現在の花粉症治療はヒスタミンの働きを止める薬を服用するという対症療法が主流だ。治療米は一定期間食べ続けると、体が徐々にスギ花粉に慣れ、アレルギー反応が起きなくなるという。花粉が体内に入ってきても、異物と認識しなくなるからだ。

 生物研は以前、慈恵医大や日本製紙、サタケと共同で、スギ花粉症の症状を和らげる「緩和米」を開発していた。慈恵医大がこの緩和米を使って2013年12月から14年5月にかけて人で臨床研究を実施し、効果を確かめている。

 当初、緩和米を電子レンジで温めるだけのパックご飯にし、健康食品として実用化する計画だった。ところが、厚生労働省が07年に「治療を目的としており、薬事法に定める薬にあたる」と指摘し、プロジェクトは一時中断した。そこで、09年にさらに効果を高めた治療米として開発を再スタートした。

 治療米と緩和米の違いはコメに組み込んだペプチドにある。緩和米は抗原の主要な部分を7つつなぎ合わせたペプチドを使っているのに対し、治療米はスギ花粉症を引き起こす全ての抗原を含んでいる。このため、より多くの患者に効果が期待できる。

 パックご飯では、薬局などに置くときにかさばるという問題がある。このため、研究グループは治療米から有効成分だけを抽出したカプセルを作り、医薬品として製品化を目指すことも検討している。

 生物研はスギ花粉症だけでなく、様々な花粉やダニ、食物のアレルギーに効果が期待されるコメも開発した。このほか血液中のコレステロールや中性脂肪を減らしたり、血圧を下げたりするコメも手がけている。いずれも動物実験では、一定の効果があることを確かめた。

 医薬品として承認されるためには、人への臨床試験を実施し、副作用や効果を厳しく見極めなければならない。高野センター長は「コメを食べるだけで病気を治すことができれば、有効成分を抽出する精製コストがいらない分、安くできる。農業の活性化にも役立つだろう」と期待している。

(編集委員 西山彰彦)

2014/05/18 本日の日本経済新聞より 「超高層ビル 振り子で守る」

今日は、日本経済新聞13版の19面(サイエンス)にある「超高層ビル 振り子で守る 揺れ、半分程度に制限」から、要点と所感を整理する。

3年前の東日本大震災では、ゆっくりと大きな揺れが長く続く「長周期地震動」が大都市の超高層ビルを襲った。超高層ビルが林立する東京・新宿で今月、新しい対策技術の施工が始まった。屋上に鋼鉄製の巨大なおもりをつるし、振り子の特徴を生かして揺れを抑える。どの程度効果が期待できるのだろうか。

霞が関ビルディングなどとともに、日本の超高層建築の先駆けとなった新宿三井ビルディング(東京・新宿)。55階建て高さ210メートルのビルの屋上に、日本初の制振装置が設置される。

ビルを所有する三井不動産と施工を担う鹿島によると、まず鉄骨のやぐらを6基組み立て、それぞれに高さ12メートル、重さ300トンの重りを長さ8メートルのケーブル8本でつるす。おもりの重さは合わせて1800トンあり、ビルの総重量の約3%に当たる。振り子は建物の揺れに対して逆方向に振れるため、建物が元の方向に戻ろうとして揺れが小さくなる仕組みだ。

建物は高さや大きさによって揺れやすい周期(固有周期)が決まっている。木造住宅なら0.1~0.5秒、高さ45メートルのビルだと1秒以上になる。高くなるほど長くなり、300メートルの超高層ビルだと7~8秒といわれる。

長周期地震動は超高層ビルの固有周期と重なって「強震」と呼ぶ現象が起きて揺れが増幅される。減衰しにくいため、揺れが続く時間も長くなりがちだ。

超高層ビルの耐震性は高く、大きく揺れても倒壊する可能性はまずないとされる。しかし、天井や壁などが落下したり家具が動いたりして、人がけがをするおそれがある。乗り物酔いのような症状に悩まされる人も出てくる。

新宿三井ビルは東日本大震災の地震がおさまってから、屋上が最大で2メートル、約2分ほど揺れた。三井不動産の資産管理グループの野末泰樹グループ長は「東日本大震災では、入居するテナントや利用者から、揺れが大きくて不安を感じたとする声を受けた」と、新技術導入の理由を説明する。…

タイトル「超高層ビル 振り子で守る」を見ると、「(倒壊する可能性のある)超高層ビルを振り子で守る」という話かと思いきや、どうもそうではないらしい。

超高層ビルは倒壊する可能性はまずなく、その中にいる人の不安を解消するための仕組み、とのことだ。そのために、今回のビルで言うと、自重の3%にも上るおもりをビルの屋上に置くとのことである。

そうは言うものの、疑念がぬぐえずにいた。

「そもそも、既存のビルには耐荷重というキャパシティがあり、自重の3%とは非常に厳しいのではないか」

このように読み進めたところ、記事の最後にこの技術の重要なポイントが書いてあった。

それは、このおもりの重さがビルの柱に直接伝わるようにすれば構造を補強する必要がないという点である。梁ではなく、柱にというのがポイントのようである。

事前の実験はすこぶる良好のようで、鹿島の構造設計統括グループの責任者も「計算した通りの動きをしている」との自信を見せている。おもりの数やケーブルの長さを変えれば、様々な高さや形の建物に対応できるとのことで、新技術は既存のビルに適しているとも評されている。ビル内で地震による揺れへの不安、これを解消できるのもそう遠くない将来に訪れるようである。

しかし、そのビルの周囲を歩く歩行者が地震に遭遇した際、目の前のビルの屋上で重さ300トンのおもりが揺れうごめいていると知った時の不安は、それは地震以上の恐怖であるに違いない。灯台下暗しとはまさにこのことではなかろうか。

2014/02/02 本日の日本経済新聞より 「がん細胞は進化する 遺伝子解析、投薬治療に道」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞14版の15面(サイエンス)にある「がん細胞は進化する 遺伝子解析、投薬治療に道」です。





 がんは医学的に未解明な点が多く、ナゾだらけの手ごわい病だ。最近の研究から、ダーウィンが唱えた生物の進化論によく似た巧妙な手口を備え、環境に適応し生き残ったがん細胞だけが成長し、体をむしばんでいくことがわかってきた。今後の診断法や治療法に大きな変化をもたらすかもしれない。

 患者数が多く、発見時には手遅れになっているケースが多い膵臓(すいぞう)がん。日米の研究グループは2013年、この難治がんが発生してから成長し、ほかの臓器に転移していく過程を「ダーウィン的進化」と呼んだ。モデル提唱者の一人である国立がん研究センター研究所の谷内田真一ユニット長は「がんの成長と転移の様子を遺伝子の突然変異に注目して調べ、モデルを作ると、ダーウィンが提唱した生物の進化論に似ていた」と話す。

 モデル提唱のもとは、谷内田ユニット長が米ジョンズ・ホプキンス大学で同大の仲間らと10年に英科学誌ネイチャーに発表した論文。膵臓がんで死亡した患者を対象に、膵臓のほか、肺や肝臓、腹膜に転移したがん組織を丸ごと摘出し、約2万個の遺伝子ががんではない正常な細胞に比べてどのくらい変化しているのか網羅的に調べた。

 がんは食べ物や紫外線、老化など様々な理由で複数の遺伝子に傷が入り、正常な細胞が異常な細胞に突然変異してできる。遺伝子の変化度合いを手掛かりに、がんの成長を追跡できるのではないかと考えた。

 原発巣と呼ばれる膵臓に最初にできたがんを含めすべての臓器のがんに共通する遺伝子変異と、肺や肝臓など転移先だけにある遺伝子変異とに分かれることがわかった。前者の代表例は「KRAS」や「P53」という遺伝子の変異で、ある患者では三十数個見つかった。後者は転移が進む腹膜、肝臓、肺の順番で、突然変異の起こる遺伝子の種類が増えていた。

 遺伝子の変異の仕方ごとにがん細胞が原発巣の中のどこにあるかを調べると、内側から外側という一定の方向に向かって変異の数が増えていた。外側のがん細胞ほど転移した細胞の遺伝子変異パターンに似ていた。「膵臓の細胞でばらばらに突然変異が起こり、各細胞が分裂を繰り返すなか、少ない酸素や栄養状態で有利に強く生きられるような遺伝子変異を獲得した細胞だけが生き残り、転移先でも広がったと考えられる」(谷内田ユニット長)。環境に適応した生物が生き残り、子孫を残すという進化論と似ていた。

 がんが進化するという考えは前からあった。1980年代、細胞が分裂を繰り返すうちに傷ついた遺伝子がたまっていき段階的にがん細胞になる「多段階発がん説」を唱えたフォーゲルスタイン博士や、2002年に膵臓で同様の説を発表したルーバン博士らが予想していたが、具体的に調べる方法がなかった。2000年代半ば以降の遺伝子解析技術の進歩によって、患者のがん組織を使ってようやく証明された格好だ。

 がんの進化がわかると一体何が変わるか。

 腎臓がんの進化研究などで実績のある京都大学の小川誠司教授は「より早期の診断法や、効果のある抗がん剤の選択、薬への耐性や再発があるかどうかの判定法の開発などに結びつく」と話す。

 谷内田ユニット長らは、膵臓がんの成長速度を細胞の遺伝子変異の蓄積状態から計算した。最初にある細胞で突然変異が起こってから膵臓の中で手術可能な1~2センチメートルのがんに成長するには十数年かかるという結果だった。「この間に手術で摘出できれば、5年生存率は今の10倍程度に上がる」(谷内田ユニット長)

 しかし、膵臓の場合、現在の画像技術では発見できる人は少ない。血液に出てくるがん細胞のかけらのDNAから遺伝子の変異具合を判定できれば、早期の発見率が高まる可能性があるという。

 抗がん剤を使い続けると効かなくなるがん細胞が出てくる耐性についても、「がん細胞の正確な遺伝子の変異状態を把握できれば、効かない抗がん剤を見分けられ、無駄な投与が避けられる」(小川教授)。

 がんの進化をつぶさに追えば、攻略法も進化できるかもしれない。

(西村絵)