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地球回覧 ロシアにらむ改革請負人 2015/11/29 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「地球回覧 ロシアにらむ改革請負人」です。





 黒海に面するウクライナ南部オデッサの港。巨大なコンテナ施設を背に会見したオデッサ州のミハイル・サーカシビリ知事の怒号が響いた。賄賂を受け取った役人や議員が荷物の通関を差し止めさせた証拠とされる書類を示したうえで放り投げ、宣言した。「腐敗のシステムを壊す」

汚職の実態に怒るオデッサ州のサーカシビリ知事(11月4日、オデッサ)

 ウクライナと同じく旧ソ連の構成国だったジョージア(グルジア)の前大統領だ。親欧米を掲げ改革を推進した実績を買われ、ウクライナのポロシェンコ大統領が国籍を与えて州知事に任命した。同国東部でロシアが支援する武装勢力との紛争が続く一方、オデッサは汚職との戦いの最前線に浮上した。

 派手な言動が注目を集める。「ここでは何をするにも賄賂が必要だ。汚職撲滅が命題なのに君らは動いていない」。就任後すぐの州政府の会議ではテレビの前で役人20人を辞めさせた。

 ジョージアでは若い人材を登用し汚職と官僚主義を排するため、多数の公務員を解雇し、1000件以上の規制を撤廃した。急進的な改革は海外からの投資を呼び、世界銀行は「反汚職改革の手本」とはやした。

 オデッサでも同じ手法を貫く。まず警察組織の改革に取り組んだ。公募した人材を訓練して増員。汚職のイメージが強い旧ソ連時代からの制服も一新し、改革をアピールした。通関管理などは電子化を計画し、汚職封じ込めを目指す。「オデッサをウクライナの改革の見本にしたい」とサーカシビリ氏は語る。

 18世紀から貿易都市として栄えた人口100万のオデッサはユダヤ人やギリシャ人など多様な人種が住む特異な地域だ。その3割がロシア系で、親欧米路線への反発もある。住民はサーカシビリ氏に懐疑的な目を向けながら「改革は誰もが望む」と口をそろえる。行政の中枢は親ロ派の前政権残党が牛耳り、抵抗勢力として立ちはだかる。

 「だからPRが必要なのだ」とサーカシビリ氏は話す。公務を随時フェイスブック上で公開し、閲覧件数は毎回、数十万件に達する。「口先だけの人気取り」と批判も受けるが、ウクライナ全土では政治家の支持率でトップに浮上した。

 これは中央政府への不満の裏返しでもある。世論調査によると、「改革ペースに満足している」との答えは3%にすぎない。中央政府とのあつれきも増すなかで、「変革を求める国民の力だけが頼りだ」と語る。

 民衆デモが政権を倒した2014年のウクライナ政変では親ロと親欧米の対立に焦点が当たったが、人々を突き動かしたのは腐敗への怒りだ。旧ソ連崩壊の混乱で国有資産を得た新興財閥が政治を動かし、汚職がまん延する。改革が進まなければ再び政情が不安定化しかねない。

 汚職問題は旧ソ連諸国に共通する。調査機関の透明度ランクでは、欧州連合(EU)に加盟したバルト3国とジョージアを除き軒並み下位に沈む。ロシアではプーチン大統領に近い勢力がビジネスを独占し、強権体制下で汚職がはびこる。

 「ウクライナで改革が成功すれば、ロシア人もなぜ自国でできないのかと思うようになる」。サーカシビリ氏は旧ソ連諸国を力で勢力圏に引き戻そうとするプーチン氏に反発する。

 ジョージアの大統領としては、08年に親ロ派が実効支配する地域を巡りロシアの侵攻を招いた。選挙で政敵の財閥出身者率いる野党に敗れ、14年に職権乱用罪などで国を追われた。次第に独善性を強め、民意が離反した結果でもある。

 本人も「多くの誤りを犯した」と認めるが「総合的に見れば大成功だった」と譲らない。オデッサでの「敗者復活戦」の成否はウクライナの行方も左右する。

(オデッサで、古川英治)



地球回覧 ロシアのウソとメディア 2015/09/20 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「」です。





 「(政府の)プロパガンダ(宣伝行為)に加担していたことをおわびします」

ロシアでは過激な政治番組が人気を集める(モスクワ市内の家電量販店)

 ロシアの民間テレビ局NTVのベルリン特派員だったコンスタンチン・ゴールデンツバイク氏(32)は6月、インターネットのフェイスブック上で告白し、12年間勤めた局を去った。

 「ウクライナのファシストがロシア人を迫害している」「米国がプーチン政権の転覆を企てている」。親ロ派政権が倒れた2014年2月のウクライナにおける政変を機に、ロシアのテレビ報道はこんな論調が大勢となった。ロシアはウクライナに介入し、米欧と鋭く対立するようになった。

 ゴールデンツバイク氏に話を聞くと、上層部から圧力がかかっていたことを認めた。例えば「ドイツのメルケル首相は米国の手先だと報道しろ」「ロシアを支持する(独の)勢力を大きく報道せよ」といった具合だ。初めは抵抗したが、報道内容を厳しくチェックされるにつれ「政府の意向に沿った内容を進んで報道するようになった」という。

 情報操作を暴露し、政府を批判したゴールデンツバイク氏には多くの国民が激しい非難を浴びせた。「裏切り者」「地獄に落ちろ」。ロシアでの新たな仕事は見つからず、ベルリンにとどまったまま、妻子を抱えて先の見えない不安な日々を送る。それでも「後悔はしてない。ウソをつく罪の意識にさいなまれる同僚の記者は多い」と明かす。

 複数のジャーナリストの証言からは、ロシア政府による言論統制の実態が浮かび上がる。大統領府(クレムリン)は毎週金曜日の午後6時、主要メディアの編集幹部を集める。大統領報道官が向こう一週間の予定を説明したうえで、何をどう報じるか「助言」する。

 論議を呼びそうなニュースについてはクレムリンの「メモ」が配られる。報道でどこを強調するか、だれのコメントを使うべきかといった具体的な「勧告」が書かれていることもある。

 各局はウクライナへの憎悪をあおる過激な報道で視聴率を稼ぐ。「ウクライナ兵が3歳児をはりつけにした」といったニュースは証拠を示さないことが多い。

 「真実が報道できなくなった」。民間放送局レンTVを14年に辞めたスタニスラブ・フェオファノフ氏(38)はウクライナでの取材を通じ、事実を目の当たりにした。親ロ派武装勢力が支配するウクライナ東部の住民の多くがロシア編入を望まないと指摘。ウクライナ政府を支持する住民を親ロ派が弾圧するのを見た。

 母親に伝えたが信じてもらえなかった。見聞きしたことを周囲に話すと、口論になり、友人を失った。「政府のプロパガンダが母や友人を変えてしまった」

 フェオファノフ氏やゴールデンツバイク氏はソ連崩壊後の民主化でロシアにおける報道の自由が開花した1990年代に記者を志した。ロシア南部チェチェン共和国の独立派とロシアの戦争や経済危機の際、NTVなどはしばしば政府と対決した。だがこうした「リベラルな時代」はエリツィン政権で終わり、その後を00年に継いだプーチン政権は徐々に統制を強めた。

 ロシア国民も現状を受け入れているフシがある。独立系の調査会社による4月の世論調査では、7割近くが国益や安全保障のため報道規制は必要と答え、3割が情報改ざんもやむなしと回答した。政府とメディアが米国をはじめとする「敵」の存在を強調し、国民の愛国心をあおっている。

 ゴールデンツバイク氏は最近、ドイツでナチスが権力を掌握した過程を展示するベルリンの博物館を見学し、不安を募らせた。プロパガンダと反体制派の弾圧、「裏切り者」を許さない社会の風潮……。「ロシアの現状によく似ている」

(モスクワ=古川英治)



地球回覧 バーツ経済圏は広がるか 2015/11/15 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「地球回覧 バーツ経済圏は広がるか」です。





 「その20バーツ(約68円)札(紙幣)もよこしな」。81歳になるモン族のおばあさんがおどけてみせた。ラオス北部の古都ルアンパバン。四方を山々に囲まれたこの街には夕暮れになると、山岳民族のモン族が集まってくる。手作りの衣装や装飾品を夜市で売るためだ。

釣りをバーツ紙幣で返すラオス・ルアンパバンの露店

 ラオスの通貨はキップだが、タイの通貨バーツの方が歓迎される。山での生活を刺しゅうで描いたエプロンを夜市で見つけた。売り手のおばあさんとバーツで値段交渉となったが、勢いに負けてタイから持参した20バーツを余計に出した。ラオスだけでなく、カンボジアやミャンマーとベトナムの一部でバーツは通用する。

 タイ周辺国の通貨は度々レートが切り下げられてきた。その点、レートが安定するバーツは周辺国の人々にとって手元に置きたいお金だ。地域の製造業大国であるタイから輸入する品物も多く、決済用にバーツを欲しがる輸入業者も多い。

 最近は企業が低賃金の労働者を求めタイから周辺国に工場を移転。逆に周辺国から400万人ともいわれる出稼ぎ労働者がタイに流れ込む。タイと周辺国の経済一体化が強まる中で共通通貨の必要性も高まる。それがバーツというわけだ。

 タイを中核に周辺国へ広がる経済圏はバーツ経済圏と呼ばれる。1990年代初頭にタイ政府自身が唱えたこともあった。市場統合構想のない当時にあってタイは強い経済を背景になし崩し的に周辺国との経済一体化を進めようとした。だが97年、タイを震源にアジア通貨危機が起こり、バーツは一気に信認を失った。

 その後、あまり聞かれなくなったバーツ経済圏だが、危機から立ち直ったタイはじわりとバーツの勢力圏を広げていた。タイ政府は外国に持ち出す現金を1人5万バーツに制限するが、周辺5カ国へは50万バーツまで持ち出しを認めている。バーツの国外流通を促すためだ。

 東南アジア諸国連合(ASEAN)は年内に経済共同体(AEC)を正式発足させる。これがバーツ経済圏には追い風となる。域内関税の撤廃で遅れていたラオス、カンボジア、ミャンマー、ベトナムも2、3年内に関税がほぼゼロになり、市場の一体化が進む。

 それでもバーツの浸透やAEC発足を見て、ASEAN6億人の統一市場がすぐにも誕生すると考えるのは早計だろう。ASEANはインドシナ半島だけでなく、南のインドネシア、東のフィリピンまで広範囲にわたるが、経済的なつながりには濃淡があるからだ。

 日本貿易振興機構がまとめたASEAN加盟10カ国の間の貿易依存度(輸入ベース)を点検する。カンボジアのタイからの輸入(2013年)は全体の12%を占め、ミャンマー(10年)も11%でタイ経済とのつながりの強さを裏付ける。

 一方、ベトナムの輸入(13年)のうちタイからは5%弱だが、中国からは28%に達する。ベトナムは経済ではASEANよりも中国など東アジアとの結びつきが強い。インドネシアの輸入(14年)のうちフィリピンからは0.4%にすぎない。経済関係の希薄さを反映してか、首都のジャカルタとマニラを結ぶ直航便は一日1~2便しかない。

 経済一体化が進むタイ、ラオス、カンボジアの人口は合わせても1億人に満たない。バーツが流通するミャンマー東・南部やベトナム南部の人口を足し合わせても1億5千万人程度だろう。バーツ経済圏は広がっているようだが、ASEANに住む6億人の最大4分の1をカバーしているにすぎない。

 AECは当面、実質的にバーツ経済圏を核に広がっていくのだろう。だが、その枠を超えない限り、巨大な潜在力は生かせない。陸伝いの経済圏を越え、海を隔てたフィリピンやインドネシアを含めて連携を深めれば、真価を発揮できる。

(ルアンパバンで、編集委員 村山宏)



地球回覧 インドが中国に並ぶ日 2015/07/12 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「地球回覧 インドが中国に並ぶ日」です。

中国の未来は、インドが握っていると言っても過言でない、そのような所感を抱く記事です。覇権国家を目指す中国にとって、インドとどのような関係を構築するかが、大きなファクターになりそうです。





 「格好良いだろう。俺のハーレーダビッドソンさ」。インド西部の商都ムンバイ。オートバイの店をのぞくと、スマートフォンで撮影した写真を見せながら、地元の熟年男性が話しかけてきた。1台200万円もする高級バイクだ。外資系金融機関に勤めており、妻と備品を買いに来た。

富裕層の消費ブームは庶民まで広がるか。買い物客らで混み合う宝石の問屋街(4月、ムンバイ)=写真 小林健

 バンドラ地区にスワロフスキー、ロレックスなど有名ブランドの店が並ぶ。市内には貧しい人々が多く住む地域がいくつもあるが、この一角は別だ。富裕層が高価な品を事もなげに買っていく。どこかで見た光景。そう、2000年代前半の上海や北京と似ている。

 中国では02年に英高級車のベントレーが販売拠点を開くと、同ブランドの5千万円前後もする最高価格帯の車が世界で最も多く売れる国になった。当時は一部のぜいたくにすぎないと見られたが、振り返ってみれば富裕層から始まった消費ブームの予兆だった。

 消費ブームの裾野が広がり、05年ごろに中国の経済はテークオフ(離陸)期に入った。同国の名目国内総生産(GDP)は05年から10年間で5倍近い10兆ドル強に増え、新車販売も4倍以上の2300万台に達した。そしていま、インドでも同様にテークオフの兆しが点在するようになった。

 中国の05年とインドの15年の類似点は多い。インドに関する国際通貨基金(IMF)の予測では、15年の名目GDPは2兆3千億ドル(約280兆円)で、05年の中国と同じ水準に膨らむ。1人当たりGDPは05年の中国をやや上回る1800ドルになりそうだ。

 新車販売は15年のインドが前年比5%増の340万台と見込まれる。05年の中国は500万台以上。それでも増加幅では「インドも今後10年間で(中国と同じように)4倍、5倍の拡大が可能だ」と、自動車用ライトの製造大手であるインド企業、ルマックスのビニート・サハニ最高経営責任者(CEO)は強気だ。

 ルマックスの工場はムンバイに近い工業都市プネにある。プネにはドイツのダイムラーやフォルクスワーゲンの自動車工場が並び、インドの成長を支える。

 国境紛争も抱えるインドと中国は長く、地域のライバルとみなされてきた。人口は中国が13億人、インドが12億人で、それぞれ世界の1位、2位だ。名目GDPでは05年ごろまでインドが中国の4割程度だったが、その後の中国の伸長で5倍以上に差が広がった。

 パワーバランスが崩れた結果、中国に対するインドのけん制力は弱まった。中国は多数の欧州諸国の参加も得て新たな国際金融機関であるアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立を主導する。南シナ海での軍事活動を強め、インド洋への進出をうかがい始めた。

 インドはBRICS(新興5カ国)の一員として国際社会での影響力拡大を目指す。中国に追いつくには同国が減速している間にテークオフを確実にするしかない。IMFは15年の実質成長率をインドが7.5%で、中国は6.8%と予測する。中印の逆転は99年以来だ。成長率は今後もインドが7%台後半で、中国は6%台前半に減速すると見込んでいる。国連は人口でも20年代後半にインドが中国を上回るとみている。

 インドの成長を阻む要素も少なくない。インフラ不足、貧富の差、非効率な国営企業、不透明な行政権限――。だが、同様な欠点は中国を巡っても指摘されてきた。インド経済がかつての中国のように離陸し、両国が肩を並べる日はくるのか。その視点は中国の将来を占ううえでも重要だ。

(ムンバイで、編集委員 村山宏)



地球回覧 小国にもEU懐疑の波 2015/06/21 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「地球回覧 小国にもEU懐疑の波」です。

移民を多く受け入れ、何と、170か国以上もの国籍の外国人が集うルクセンブルク。そんな移民先進国でも国政選挙への外国人の投票は認められませんでした。





 ドイツ、フランス、ベルギーの3国にはさまれた小国のルクセンブルクは欧州連合(EU)の「ふるさと」だともいわれる。EUの源である欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が初めて本部を置いた国だ。ECSCの設立に尽力した元仏外相シューマンの出身地でもある。欧州統合に懐疑的な政党が各国で支持を集めるなか、7月1日から半年は輪番制の議長国として、EUの立て直しを託される。

ECSC設立当初の本部があった建物(ルクセンブルク)

 「外国人に寛容な国だと思っていたのに」。ルクセンブルクで15年近く暮らすオランダ国籍のアレックス・ファン・へーメルトさん(46)は肩を落とした。6月上旬の国民投票で、ルクセンブルクに10年以上住む外国人に国政の選挙権を与えるという改革案の是非が問われたが、反対多数で否決されたからだ。実は約56万人にのぼるルクセンブルクの人口のうち5割近くを外国籍の人が占める。ヘーメルトさんはその一人だ。

 面積は神奈川県ほど。そこで毎日を過ごす外国人の出身国は170カ国以上に達する。ポルトガル(全外国人の16%)を筆頭にフランス(7%)、イタリア(4%)などと続く。地方選挙では投票できるが、国政選挙では意思を示せない。

 こんな現状を「民主主義の正当性が問われる」と問題視し、国民投票をようやく実現させたのが、ベッテル首相率いるリベラル色の濃い連立政権だ。2013年に34年ぶりの政権交代で誕生した。首相は「民主主義と多様性に賛成票を」と国民に広く呼び掛け、産業界の大勢も支持した。成功すれば、外国人に国政選挙権を全面的に与える初めてのEU加盟国になるはずだった。しかし、結果的に投票した有権者の8割が反対する「惨敗」となった。

 ルクセンブルクはEUのなかでも人口に占める外国人の比率が高い国だが、移民排斥のような摩擦は少ない。それでも国民の心の奥底には外国人への警戒感が芽生えているようだ。金融危機や債務危機を経て、欧州の政界で台頭してきた「EU(統合)懐疑派」の広がりと無関係ではない。

 EU懐疑派がやり玉にあげるのは域内で人の移動の自由を認めた「シェンゲン協定」だ。1985年に締結され、EUが旧共産圏に広がるなか、多数の移民を労働者として西欧に送る法的根拠になってきた。だが、多くの西欧諸国で景気が盛り上がらなくなると、移民は労働力不足を解消する救世主でなく、有権者から職を奪う「邪魔者」とみなされるようになった。

 国民戦線(仏)、五つ星運動(イタリア)、英国独立党(英)――EU主要国では過度な移民の受け入れを拒み、欧州統合に背を向けるポピュリズム(大衆迎合主義)政党への支持が高まっている。

 5月上旬の英総選挙では与党・保守党を率いるキャメロン首相が「EU離脱の是非を問う国民投票を17年末までに実施する」と公約し、下馬評を覆して勝利した。ところがキャメロン氏の本音はEU残留希望だといわれる。信条に反して国民投票を準備するつらい立場に追い込まれている。

 だからこそルクセンブルクで外国人の参政権拡大が認められれば「統合推進派がEU懐疑派に反撃する礎になるはずだった」。EUの執行機関である欧州委員会のスタッフは、こう話して否決の現実を悔やむ。

 「欧州は1日にして成らず」。ECSC設立につながった1950年のシューマン宣言は説く。目前の課題に結束して対応することが欧州の統合を深めるというわけだ。国民投票の失敗で出ばなをくじかれた格好だが、ルクセンブルクの小さな背中は当面、欧州統合の行方という重荷を負う。

(ブリュッセル=森本学)

地球回覧 重慶が陥った「民意不在」 2015/05/24 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「地球回覧 重慶が陥った「民意不在」」です。

民意に耳を傾けるとまではいかないものの、彼の国も民意が無視できなくなった、そういう事象を説明した記事で、非常に興味深いものがあります。





 失政は明らかだった。「調査・研究が浅く、市民の意見を広く聴かず、長期治療が必要な患者の経済的な負担に対する考えが行き届かなかった」。中国内陸部の中心都市、重慶市の地元政府は4月1日、反省しきりの声明を発表した。

重慶市中心部で医療費の負担増に抗議する人々(3月末)=市民提供

 きっかけは3月25日から実施した医療費の引き上げだ。市民の猛反発にあい、わずか7日後の同31日、白紙撤回に追い込まれた。市民は負担増を嫌っただけなのか。市内の病院で患者や家族に話を聞くと、別の問題点が浮かび上がった。

 「母が腎臓疾患で週3回の人工透析を受けている。1回当たりの自己負担額が、それまでの約100元(約1900円)から約200元へと、いきなり2倍になった。私と妻の月収は計約5千元で、月に1千元の借金の返済もある。母から『もう治療はしない。死ぬのを待つ』と言われた」(38歳の男性、李さん)

 「週に2回の人工透析を受け、これまでも毎月の自己負担額は1千元を超えていた。病気のため仕事はなく、親が払っている。少しの値上げなら理解できるが、一気に負担が2倍になるなんて全く知らなかった」(28歳の女性、賈さん)

 重慶は今回、8千項目近い医療費を見直す「改革」をめざした。市民に負担増を強いる内容だったが、その過程で患者らの意見を聴く機会を一度も設けなかった。李さんは「実際に負担がどれだけ増えるのか分からず、不安だった」という。

 中国の古典「論語」の一節でもある「由(よ)らしむべし、知らしむべからず(民を従わせることはできるが、その道理を知らせることは難しい)」という為政者の姿勢が、失政の根源だ。

 患者の嘆きはインターネットの投稿サイトを通じて瞬く間に広がった。多くの市民が共産党委員会の建物前に集まり、抗議した。「改革」は1週間で頓挫し、病院には「払いすぎた自己負担分は返還する」と知らせる貼り紙が掲示された。

 「改革」の道理はあった。重慶が医療費を全面的に見直すのは約10年ぶり。物価や賃金の上昇を考えれば引き上げは避けがたい。だが、患者の負担を直接増やし、負担する側に理解を求めるという肝心の作業を怠った。一方、北京市など改革を先行したほかの地方政府は公的保険と財政を一体で見直し、財源をやり繰りして患者の負担増を抑えた。

 重税に苦しむ植民地が英国に反旗を翻した米独立戦争をはじめ、市民に負担を求める手続きをどう整えるかという命題は民主主義をはぐくんできた。むろん、共産党が一党支配する中国を欧米や日本などの民主主義国と同列には語れない。

 その中国でさえ、もはや「民主的な手続き」の重みから逃れられない。少子高齢化が急速に進む一方、経済成長の鈍化で財政の余裕は乏しくなり、負担をどう分かち合うかという難題に直面しつつあるからだ。

 国や国有企業が医療費の丸抱えをやめ、公的医療保険制度を整え始めたのは1990年代末。制度はなお未成熟で、手術などの前には病院から多額の預かり金を求められる。「辛辛苦苦幾十年、一病回到解放前(苦労して数十年働いても、いったん病気になれば49年の解放前の貧しい生活に戻る)」とさえいわれる。

 習近平指導部は医療や年金など「民生の充実」で貧富の格差への不満を抑え、党支配を維持しようとしている。どこの国でも、負担の議論なしにバラ色の未来は描けない。いかに政策決定の透明性を高め、権利意識を強める民の声をくみ取るか。重慶の失敗は、中国全体が陥りかねない「民主主義の不在」という落とし穴の大きさを示している。

(重慶=大越匡洋)

地球回覧 韓国に宿る恐中DNA 2015/05/17 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「地球回覧 韓国に宿る恐中DNA」です。

韓国は日本と同じように面積が小さな国であるがゆえに、自国の経済と安全保障、どちらも大事であり、その二兎を追っていると思われます。その二兎の蚊帳の外にいる日本、ここに対して二兎を軽んじて懐柔策を展開することはなさそうです。しかし、経済はTPPに参加すれば自由貿易圏の中で自国の立ち位置を見つけられそうです。国家戦略がないとしても、自国の置かれた状況を踏まえてそれなりの戦術はありそうなものですが、二兎を追う戦術が実を結ばないことにそろそろ気づいてもよさそうなものです。冷え切った隣国ではありますが、気になるところです。





 「中国は怖い、何をされるかわからないというのが我々のDNAです」。ずいぶん前だが、知り合いの韓国の外交官がつぶやいたのがずっと気になっていた。

北京の人民大会堂で握手する朴大統領(左)と習国家主席(2014年11月)=共同

 今春、8年ぶりに赴任したソウルで、この言葉がよみがえった。日韓両政府の対立が長引くなかで「韓国が思いの外、頑張ってくれた」と複数の関係者に聞いたからだ。3月21日にソウルで開いた日中韓の外相会談での出来事だ。

 共同文書の焦点は歴史認識だった。中国が日本への厳しい表現を迫ったのに対し、韓国は拒んだといい、「歴史を直視し、未来に向かう」に落ち着いた。日中韓首脳会談のくだりでも、中国の慎重論にもかかわらず「最も早期」にこだわったのは韓国だ。国益がぶつかり合う場は、日本が警戒した「中韓共闘」ではなく「日韓VS中国」の構図だったようだ。

 ソウルで中国の存在感を日々、目の当たりにする。中心部の明洞(ミョンドン)の地下街からエスカレーターに乗ると、中国人買い物客向けの中国語の広告が壁一面を覆う。店員の呼び込みも中国語ばかり。ロッテ免税店の昨年の売上高(空港内店舗除く)は7割を中国人が占め、かつて主役だった日本人は5%。明洞を数十分間歩いて、あれほどあふれていた日本語を耳にすることはなかった。

 韓国国民の中国へのまなざしは複雑だ。朝貢や冊封の歴史関係に象徴されるように、長い間、朝鮮半島にとって中国は近すぎて、大きすぎる強国だった。

 中韓関係の一端がわかると知人から勧められたのが、韓国映画「国際市場」だ。昨年末の公開以降、1400万人の観客を動員し、朴槿恵(パク・クネ)大統領も映画館で涙した。1950年に始まった朝鮮戦争の際、韓国軍と国連軍は中朝国境まで朝鮮人民軍を追い詰めながらも100万人超の中国軍の猛攻に遭い、軍民合わせて20万人が輸送船に乗って韓国南部・釜山への撤収を余儀なくされる。埠頭で親子が生き別れになる冒頭シーンが鮮烈だ。

 「中国が参戦しなければ南北は統一され、1千万人に及ぶ離散家族も生まれなかった」との思いが韓国に残る。現地で暮らすと「中国は北朝鮮に次官級の大使を送るが、我々には格下の局長級。面白くない」といった話題によく出くわす。

 「嫌中・恐中」DNAは朝鮮半島の全体に宿る。韓国と同じ民族の北朝鮮の金正日総書記は、後継者の正恩氏に遺言で「中国を信じるな」と語ったと伝わる。

 韓国には「安米経中」という言葉がある。安全保障は米国に、経済は中国に頼らなければ生き残れないと解釈される。それでも中国があまりに強くなりすぎると、眠っていた「嫌中・恐中」DNAが呼び覚まされるのかもしれない。韓国では強硬一辺倒の対日外交にも見直し論が出ている。

 戦後70年に向け、中国も布石を打ってきた。ハルビン駅に伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動家、安重根の大きな記念館がある。遺骨探しに協力姿勢でなかったとされる中国が朴大統領から記念碑を求められた後、2014年1月に「記念館を造った」と伝えてきたという。習近平国家主席は自らが指示したと明かした。

 3カ国首脳会談の開催に中国が応じないのは、日韓が反目したままの方が都合が良いから――。こんな解説が聞かれる。歴史問題で対日批判の手を緩めない中国に、日米韓連携は脅威だ。北朝鮮が軍事挑発をやめず、このままでは「東アジアの懸案を米中で決める時代がくるかもしれない」と韓国の安保専門家は警鐘を鳴らす。国交正常化50年の節目に、日韓が手を結ぶ意味を考え直す時期だろう。

(ソウル支局長 峯岸博)

地球回覧 「中台統一」リー氏の予言 対話演出、枠組みは今も 2015/05/03 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「地球回覧 「中台統一」リー氏の予言 対話演出、枠組みは今も」です。

シンガポール中興の祖、リー・クアンユー氏が予言したとされる中台統一、リー氏によれば台湾の方から中国にすり寄っていくという見解です。一方、現状は親中派の国民党に勢いがなく、また、中国経済に減速傾向がみられることから、台湾からすり寄っていくのは考えにくいと言われています。





 中国共産党の習近平総書記(国家主席)と台湾の与党・国民党の朱立倫主席が4日、北京で会談する。国共内戦から続いた対立に終止符を打ち、2005年に始めた政党交流の一環だ。この中台和解の基礎を築いたのが、3月死去したシンガポールのリー・クアンユー元首相だった。

 「時代をつくった偉人だった」。台湾の馬英九総統はリー氏が亡くなった翌日の3月24日、日帰りでシンガポールを弔問し、帰着後に語った。同国と台湾当局は外交関係を持ったことがなく、馬総統の素早い行動は異例に映る。

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 リー氏は曽祖父が広東省からの移民で、自身も「李光耀」の中国語名を持つ華人だ。華人社会への関心が強く、特に1970~80年代に台湾の総統を務めた蒋経国氏とウマが合ったようだ。首相在任中の73年に初めて訪台し、11年3月までに25回も訪れた。

 蒋氏は国土が狭いシンガポールの軍に演習地を提供すると決めた。蒋氏の秘書を務めていた馬総統は2人の交流の実務を担当した経緯があり、今回の弔問を強く望んだ。

 リー氏は共産化を警戒して中国との国交樹立を90年まで遅らせたが、76年5月に初めて同国を訪問した。晩年の毛沢東氏が病床を抜け、会談に応じた。訪中は33回に達し、毛氏から数えて「第5世代」にあたる習氏まで全世代の中国指導者と交流してきた。

 中国は3月29日のリー氏の国葬に李源潮国家副主席を送った。総統が乗り込んだ台湾と差がある。だが、中国の弔問外交は共産圏を重視する慣習があり、在北京のシンガポール外交筋は「中国の政治体制からすれば、十分に敬意を感じる人選だ」と納得する。

 「93年の(中台間の)シンガポール会談がリー氏の最大の功績だ」。中台関係に携わる人は声をそろえる。国民党が内戦の末、49年に台湾に敗走して以降、中台の当局は「自らが中国の正統政権」と主張し、没交渉が続いていた。

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 リー氏は独自のパイプで中台指導者の意向を探り、双方の代表者を中立地のシンガポールに招いて分断後初の中台会談を演出したのだ。この対話の枠組みはいまも残る。4日に開く国共トップ会談もその流れをくんでいる。

 では「華人社会のご意見番」たるリー氏は中台関係の行方をどう見ていたのか。台湾で14年7月に中国語版が出版された著作「李光耀観天下(リー・クアンユーが見る世界)」には本音と思われる記述が多い。「中国人は5千年来、中央政権が強力であれば国は安全だと考えてきた」と記すなど、共産党に好意的だ。

 中国の求めで07年11月に初めて会った習氏を「南アフリカのマンデラ元大統領級の人物だ」とたたえている。政治犯として長年服役したマンデラ氏と、文化大革命時代に地方の農村で労働を強いられた習氏は、苦難に耐えて実力をつけた点が同じだという。

 一方、台湾には冷淡だ。「(中台)統一は時間の問題だ。台湾の前途は台湾人民の願いではなく、中国との力比べで決まる」と断じている。

 「彼とは思想が違った」。台湾の李登輝元総統は中台の要人で唯一、リー氏の死去に際し、その功績に疑問を呈した。96年に台湾初の総統直接選を実現した李元総統は「私は民主社会を、彼はアジアの価値、つまり中国の皇帝制度を主張した」と振り返った。

 台湾では14年11月の統一地方選で親中派の国民党が大敗した。独立を志向する最大野党・民進党は李元総統がブレーンとして重用した蔡英文主席を16年1月の次期総統選の候補に担ぎ、8年ぶりの政権復帰を視野に入れる。

 中国の力の源泉である経済の減速も鮮明だ。時間が中国へ有利に働くとは限らない。リー氏が中台に通じた政治家だったのは事実だが、統一という「予言」が的中すると判断するのは時期尚早だろう。

 (中国総局長 山田周平)

2015/04/05 本日の日本経済新聞より「地球回覧 東南アジアも「新常態」へ 労働力不足、経済に影」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「東南アジアも「新常態」へ 労働力不足、経済に影」です。





 東南アジア諸国はハイペースの成長を続けてきた。中国が経済の質を重視し成長鈍化を容認する「新常態(ニューノーマル)」にかじをきったいま、世界経済の新たなけん引役として期待が高まる。だが、成長のカギを握る人口増加のペースはタイなどで失速気味だ。15~59歳の生産年齢人口が減少に転じた中国と同じく、労働力不足が経済に影を落とし始めている。

バンコク郊外のマハチャイの町工場で働くミャンマー人労働者=写真 小林健

 タイの首都バンコク郊外のマハチャイ。河口に面したこの港町には水産加工業などに従事する20万~30万人のミャンマー人が住む。ミャンマー料理を出す露店が並び、隣国を歩くような錯覚を覚える。

 「くにに帰る気はないね。こっちの方が実入りが多いからさ」。タイ国境に近いミャンマーのダウェーからやってきたアイミンさん(31)は「iPhone(アイフォーン)4S」を片手にニッと笑った。「本物だよ。1万5千バーツ(約5万5千円)もしたんだから」

 夕方から早朝まで近くにある魚の缶詰工場で働く。日給は300バーツ。ダウェーにはミャンマー政府の肝煎りで巨大な工業団地が造成される予定だが、給料が高いタイにとどまるつもりだ。妻と2人の子どもを故郷に残してきた。インターネットで連絡をとる。

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 地域市場の一体化を目指す東南アジア諸国連合(ASEAN)経済共同体の発足を年末に控え、国境を越えた労働力の移動が本格化し始めたといえば聞こえがよい。ところが、タイにある企業が迫られるのは目先の人手確保だ。昨年のタイの実質成長率は政情混乱で0.7%にとどまったが、失業率は0.8%で完全雇用に近い。タイ人だけで経済は回らないため、200万人以上のミャンマー人が働く。

 国連推計(中位)によると、タイの生産年齢人口は2010年から15年にかけて2万人増えただけで、5年以内に減り始める。労働力不足を補うため、すでに外国人労働者は総人口6700万人の6%にあたる400万人を超えるといわれる。

 経済成長は労働力、資本の増加、生産性といった要素で決まる。なかでもタイのような新興国では労働力(人口)が大きな意味を持つ。働き手が増えれば生産が伸び、豊かになった労働者が中間層として消費を引っ張るからだ。

 このシナリオを体現した中国は10年までの20年間、ほぼ2桁成長を続けた。原動力は人口増だった。1970年代から90年代にかけて8億人から12億人に増えた。90年以降は毎年2千万人の新規労働者が労働市場に流入した。しかし、90年代後半になると人口増にブレーキがかかった。

 一人っ子政策に加え、豊かになった家庭がたくさんの子どもをほしがらなくなったのだ。生産年齢人口は12年から前年比マイナスだ。並行して潜在成長率も低下した。

 中国の習近平指導部が唱える「新常態」は、人口動態からみれば自然な発想だ。李克強首相は今年の実質成長率の目標を7%前後に据える。国際通貨基金(IMF)は16年以降の中国の成長率をさらに低い6%台と見積もる。

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 東南アジアはどうか。国連の予測をみると、タイの人口はまったく増えない。ミャンマーの人口は現状で5千万人ほどで、50年になっても6千万人を超えない。9千万人のベトナムは30年までにやっと1億人を上回る。例外はインドネシアとフィリピンの島しょ部だ。30年以降も増える。

 人口動態に注目すれば東南アジアの潜在成長率は全体に低下していく。高い成長を続けるには労働力の「輸入拡大」が必要になる。カンボジアやラオスのような小国は賃金の高い国に多くの労働者を奪われれば、経済で浮かび上がれなくなる。高成長の終わりを意味する「新常態」が東南アジアにも迫っている事実を忘れないようにしたい。

(アジア総局編集委員 村山宏)

2015/01/04 本日の日本経済新聞より「地球回覧 中国 内向く教育、外向く人民 広がる「歴史は歴史」」

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の日曜に考える面にある「中国 内向く教育、外向く人民 広がる「歴史は歴史」」です。

中国がかたくなに日本批判を繰り広げた時代から、使い分けの時代に変遷していることを明らかにした秀逸な記事です。戦略的互恵関係という言葉、中国側が不信感をぬぐいつつようやっと飲み込みつつあります。一方、日本側は相手を信頼して先に飲み込んでいましたが、ここに来て不信感に揺り動かされ、飲み込んだものを吐き戻しつつある状況です。相手に対する不信感が異なったタイミングで表面化し、ミスマッチが続く状況を物語っているように思います。

 昨年12月13日午前10時過ぎ。中国江蘇省の南京市内は哀悼の意を表すサイレンと車のクラクションの音に包まれた。77年前のこの日、旧日本軍が南京に侵攻した。中国は昨年、「12月13日」を南京大虐殺の犠牲者を悼む「国家哀悼日」に制定。「南京大虐殺記念館」での追悼式典には習近平国家主席も出席した。

「国家哀悼日」に侵略の歴史を思い起こさせる(昨年12月、南京市内で南京大虐殺犠牲者に黙とうをささげる市民)

 「30万人の同胞が殺害された。無数の婦女がじゅうりんされ、無数の子供が非業の死を遂げた」。約15分間にわたった習氏の演説は、繁華街にある商業施設の大型スクリーンでも生中継された。

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 スクリーンで式典の様子を見ていた市民の反応は様々だった。

 「南京の過去の歴史を、もっと多くの人は知るべきだ」(東北部の遼寧省から記念館に献花するためにやってきた女子学生の余さん=21)

 「規律を重んじ、人を手助けすることに喜びを感じるというのが日本人の印象。私が日本人を嫌うことはないし、日本を恨むこともない。ただ、歴史を否定することだけは受け入れない」(日本に20日間、滞在したことがあるという30代の男性)

 黙とうをささげた市内の会社に勤める男性(37)は「侵略の歴史を忘れてはならない。国家哀悼日の制定は民族の団結心を呼び起こすきっかけになる」と話した後、こう付け加えた。「日本に行ったことがある人なら、道ばたのきれいさや、人々の質の高さを感じる。私たちが学ぶべきところは多い」――。

 共産党が旧日本軍との戦争に勝ち抜いたからこそ、今の中国がある。そんな論法で歴代指導部は党への求心力を高めてきた。「悪いのは日本の軍国主義者であって、民衆ではない」という考え方は一貫しているが、尖閣諸島の領有権や歴史問題を巡り日中関係が大きく悪化して以降、指導者がこの点に触れることは少なくなっていた。

 天安門事件の後処理に追われた1990年代の指導者、江沢民氏は抗日に絡む遺跡を教育基地に指定し、学生が遠足で訪れることを義務付けた。テレビでは抗日戦争モノのドラマを流し、「日本人の残虐さ」をすり込んだ。

 だが、中国の対外開放はこの10年あまりで、以前と比べものにならないほど深まった。海外からの輸入品がネット通販で手軽に購入でき、映画やアニメなど海外文化も浸透する。中国企業は海外での高速鉄道や原発などインフラ整備にも意欲を見せる。

 豊かになった庶民は自ら海外に足を運ぶ。香港、マカオ、台湾に渡る人を含めると2014年はのべ1億人を初めて超えたとみられる。全人口から見れば少ないが、これからも自らの目で「外」を体感する中国人は確実に増える。いつまでも党の情報・思想統制が効くとは限らない。

 「歴史は歴史、現在は現在」。南京大虐殺を忘れさせまいと独自の愛国教育を施す南京の市民の中でも、日本を一度でも訪れた人はこう切り分けて考えていた。抗日の歴史を強調するだけでは13億人の人民をまとめられない時代に入りつつある。

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 昨年12月の演説で日本軍の蛮行に言及した習氏は、こうも語った。

 「中日両国民は世代を超えて友好を続けていくべきだ」

 「少数の軍国主義者が引き起こした侵略戦争をもって、その民衆を仇(かたき)として敵視すべきでない」

 旧ソ連は外への扉を開いて崩壊に追い込まれた。キューバは長引く経済低迷の末に米国との関係改善に動き出した。侵略の史実を教え込む「内向く教育」で中華民族の団結を訴える習指導部。戦後70年の節目を迎える今年、歴史と現在を切り分けられるか。胆力が試される。

(上海=菅原透)