カテゴリー別アーカイブ: 18歳プラス

先輩に聞く 父から逃げて変われた 私は私、答えは一つじゃない ディー・エヌ・エー会長 南場智子さん 2016/07/18 本日の日本経済新聞より

今日の日経注目記事は、日本経済新聞の18歳プラス面にある「先輩に聞く 父から逃げて変われた 私は私、答えは一つじゃない ディー・エヌ・エー会長 南場智子さん」です。





 ディー・エヌ・エー(DeNA)創業者の南場智子会長。学生時代は自身もあきれるほどの世間知らずだった。厳格な父親を恐れ、敷かれたレール以外を自由に走りたいともがくうちに、日本を代表する起業家になった。父という絶対的な壁が「経営者 南場智子」をつくりあげた。

 とにかく父が怖かった。地元・新潟で石油卸業を営む経営者で、まさにボス。子供の頃は直接口をきくこともなく、隣に正座をして黙ってお酌をしていた。父に伺いをたて父が決めたことが絶対という家で、大学の学科も父の言葉に従った。

 津田塾大学への進学は「寮に入る」「男性と交際しない」など条件付き。ボーイフレンドはつくったが、離れていても父が怖い。寮の門限に遅れたら父に連絡が行くのではと常に恐れていた。

 1メートルでも父から離れたい一心で大学4年のとき米国に留学した。留学枠は毎年1人と狭き門だったが、それが勉強するモチベーションになった。

 米国では人生初の自由を謳歌。留学は親子関係に変化をもたらす

 留学先のブリンマー大学ではやりたい授業を選べた。好きだった経済学をみっちり勉強した。成績がよかったので経済学者になろうかと経済学の教授に相談したほどだ。

 1年で帰国すると「就活」が待っていた。リクルートブックが送られてきたが、まずリクルートブックの意味が分からない。社会の仕組みがわからないし、どんな仕事があるかも知らなかった。たまたま米コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーで働く先輩に誘われ、説明会に行ったら格好良かったので試験を受けた。コンサルタントの何たるかも知らなかったが、賢そうに話すのは得意だったので受かってしまった。

 卒業後は新潟に帰る約束。父にどう切り出したものか、非常に緊張して電話をした。すると意外にも「受かったのか。おめでとう」と。渡米し距離が離れたのに反比例して気持ちが少し近づいたのかもしれない。実は留学中、ほぼ毎日父から手紙が来て、私も手紙を書いた。その時初めて父を好きかもと思った。父も私が大人になったと感じてくれたのではないか。

 子供の頃は自分に語れるものがなかったが、マッキンゼーに入り経営のことなどがわかるようになると少しずつ父と話せるようになった。そんな自分が誇らしかった。今も父のことは怖い。怖いけれど「自分のDNAの半分は父のもの。その私がこんなに弱いはずはない」と、父の存在は事業をする自分の最後の心のとりでになっている。

 DeNAで採用活動を主導する。日本の学生に対し危機感を持つ

 採用の際にすごく大事にしているのが「思考の独立性」。私は父の“支配下”にいて自ら考えなかった。親の言うなりという人は少ないが、先生や友達、マスコミなどいろんなものに支配され思考の独立性を失っているように思う。会社も、会長や社長が「答え」だと思ってしまうとバランスを欠いた組織になる。

 日本人は「答えは一つ」という教育を受けてきた。高度に均質化した工業製品をつくっていたころはそれがベストだったが、今は邪魔になる。自分で考えて答えを導き出す訓練を積む必要がある。常識や過去の事例から導き出せることはすべて人工知能(AI)ができる時代。人間は新しい課題をどう解決するかという仕事をすべきだ。

 私も自分の頭で本当に考えられるようになったのはDeNAを立ち上げてからかもしれない。会社を生き残らせるにはどうしたらいいかと考えるようになった。「よくやったね」とほめてもらっても、会社は残せない。